再び桜花笑う季(とき)
「どうって…その、ただの友達ですよ。」
「三輪の事どう思ってるの?」
いきなりストレートにさくらとの関係を問い質した由美に、私はそう答えた。
「呆れた!まだそんなちんたらしたこと言ってる訳?」
すると由美は私の答えにそう返した。
「ちんたらって何ですか。」
私はその言い草にムッとした。患者として病院ではお世話になった関係だが、確か年齢は私より2〜3歳下だったと記憶している。それに今、私は彼女の病院の患者ではない。そんな由美がため口で何を意見しようというのだ。
「ちんたらはちんたらよ。あなたたち、出会ってもう5年も経ったんでしょ?」
そんな私の思いに気付かないで由美は続けた。
「時間がどれだけ経とうと、友達はそれ以上でもそれ以下でもない、違いますか?!少なくとも彼女はそう思ってると思いますよ。」
そうだ、私がいくら彼女の事を想ってもきっとその思いは届かない。それを一番じりじりと実感しているのはこの私自身だ。他人にそれをとやかく言われたくはない。
「でもそれ、三輪に確かめた?」
「いいえ、でも確かめなくたって分りますよ。彼女はあのあと職場に復帰したとき、『私は高広と結婚したつもりでいる』と言ったんです。私にだって、翔子や穂波がいる!それがどうして恋愛関係に発展するんです!!」
私はこの間から自身に言い続けている言葉をそのまま由美に投げかけた。しかし、由美は怯まなかった。
「高広君も奥様ももうとっくに亡くなっているんでしょ、ならいいじゃない。」
「翔子だって穂波だって、もちろん高広君だって私や彼女の心の中で生きているんだ!あなたに何が解かるって言う!そんな御託は聞きたくない、もう帰ってくれ!!」
私は座っていた前のテーブルをバシンと叩いてそう言い放った。そして由美は、
「何よ、この解からず屋の鈍感男!ええ、帰りますよ、言われなくたって帰ります!!」
という台詞を吐いて、さっさと私の家を後にした。
由美が帰った後、私はため息を吐き小声で言った。
「穂波、これで良いんだよな。パパがママ以外の女の人となんか結婚したら、穂波は嫌だよな。」と…
だが、その約一ヶ月後…突然由美から、着信があった。
「松野さん、大変なの!テレビ…そうテレビつけてみて!」
私が出た途端、由美は焦った口調でそう言った。そこで、私はテレビのリモコンのスイッチを押した。テレビからは列車の脱線事故の臨時ニュースが映し出されていた。
「その電車に三輪乗ってたのよ!今市民病院にいるって電話があって…」
さくらが事故に?!思いがけない由美からの連絡に、事故と聞いただけで私は完全に舞い上がってしまっていた。一種のフラッシュバックとも言えるのかもしれない。私は由美に何の事情も聞かず慌てて携帯を切り、通院時代いつもお願いしていたタクシーを呼びだすと、自宅マンションを飛び出し、玄関先で待った。このときには私はもう車椅子ではなく、杖をつけば歩くこともできるようになっていて、障害者スペースに駐車する必要はなかったが、どう考えても冷静に運転できるとは思えなかったのだ。
やがてマンションの入り口に着いたタクシーに乗り込んだ私は、
「急いで市民病院に行ってください。」
と運転手に叫んだ。
「もしかして、さっきの脱線事故の?」
「ええ…市民病院に担ぎ込まれたと、彼女の友人から連絡があったんです。」
私は、自分でさくらを彼女と呼んで、いたことにも気付いていなかった。
「大したことがなければいいですね。」
私を落ち着かせるようにとの配慮か、運転手はわざとゆっくりとした口調でそう言った。
タクシーの中のラジオではその脱線事故の続報が流れていた。真昼間の事故だったために、乗客は少なく、重傷者はあるものの、奇跡的に死者はなかったが、一時的に乗客が閉じ込められた状態となり、その中で産気づいた女性が車内で出産したという。
「乗客にたまたま看護師の人がいてね、その人が取り上げたらしいですよ。何にしても、無事に生まれてきて良かった。」
そんな風に運転手は話しかけ続けていてくれたのだが、私にはそれに応える心の余裕などなかった。病院に運ばれた=重傷者の図式が私にはできあがっていて、心の中はそのことでいっぱいだったのだ。
やがて、車は市民病院に着いた。私は転がるようにタクシーを降りると、受付を目指して走り出した。とは言え、私の足は杖がないとおぼつかない状態、心ばかりが空回りし、転びそうに何度もなりながら、私は受付を目指した。
頼む、無事でいてくれ…私はもう、置いていかれるのは嫌だ。頼む、逝かないでくれ!そう何度も念じながら、私は息を切らせて受付に立った。
「はぁ…はぁ、すいません三輪さくら、三輪さくらさんという人がここに来ていると聞いたんですが!三輪さくら…」
ところが、大声でそう言った私のすぐ後ろの待合の椅子の方から、
「はい?」
という疑問形の返事が聞こえた。振り向くと、数人の人に囲まれた小柄で色白の女性−三輪さくらその人が−驚いた様子で立っていた。何のことはない、車内で出産した子供を取り上げた看護師というのが、さくら本人だったのである。その妊婦さんは脱線した両にはいなかったが、脱線の急ブレーキの衝撃で産気づいたのだと言う。同じ車両にいたさくらはもちろんどこにもけがはなかった。
「松野さん…」
「さくらちゃん!」
私は、さくらに駆け寄った。というより、彼女のそばにいこうとしたが、足がもつれて彼女に不様に倒れ込んだという方が正しいだろう。
「どうしたんですか?」
さくらは、彼女の肩を抱いたまま、震えている私を不思議そうに見上げた。
「良かった、無事で…君が脱線事故に遭ったと聞いて、居ても立ってもいられなくなって飛んできた。」
私がそう言うと、彼女の横にいた人の一人が私に、
「ご主人ですか?」
と聞いた。さくらは不測の出産劇の立役者として、インタビューを受けていたのだった。
「いいえ、お友達です。この方は事故で奥様を亡くされているので、心配して駆けつけてくれたんです。」
それに対して、彼女はそう答えた。続いて彼女は
「もうこの辺でよろしいですか?」
と聞き、取材側が了承するのを確認して、私に肩を貸して彼らから離れた所の椅子に私を座らせた。
「それで、怪我は?」
そう言った私に、彼女は笑顔で頭を振った。
「怪我なんかしてないわ。私の乗ってたのは脱線した車両じゃないもの。」
「じゃぁ、何で君は病院に…」
「それは、車内の妊婦さんに付き添って…そう言えば松野さん、どうして私がここに居るのが分ったの?」
「妊婦さんの付き添い?!ああ、なんか電車の中で赤ちゃんが生まれたって聞いたけど、その看護師って、君?!俺は、曽我部さんに電話をもらって…」
私は、ようやく事情が解かって、ホッとして、一気に疲れを感じた。一方、私が由美から電話で事故を知らされたと聞くと、彼女は急にぷりぷりと怒りだし、すぐさま由美に電話を始めた。
「あ、そがっち?!ちょっといい加減にしなさいよ。松野さん今、血相変えて病院に来たじゃないのよ!!良かったって…良くないわよ!松野さん、私の顔を見て震えてたんだからね!!」
「良いよ、さくらちゃん。」
作品名:再び桜花笑う季(とき) 作家名:神山 備