0のつく誕生日
このホストも、そんなバイオロイドの一人だった。彼は、最初からホストとして造られた。美しい顔も、伸びやかな肢体も、そうなるべくDNAが設計されている。労働にも知的生産にも不向きだが、話し相手、エスコート役、性のパートナーとしては、最高の資質を備えている。
「承知しているわ、バイオロイドのホストさん」老女はにっこり笑って言った。
「人間のホストの方が人気があることもね。女は不思議ね。男に疲れて寂しいくせに、やはり求めるのは過剰な感情と本物の肉体なのよ。それがどんなに残酷で計算高いかも知っているくせに。それともその残酷な一面に生命力を見出すのかしら。強い種を孕むための女の本能なのかしら。だとしても、もうこんな年老いた人間には関係のないこと。そして、臆病な『彼女』も、きっとあなたを選ぶでしょう」
――「臆病な彼女」?
老女がパンと両掌を合わせて打った。
「もう『使用説明』はおしまいにして。さあ、あなたを借りたのはきっかり二十四時間。あなたがここに来て、もう十分経ってしまったわ。七十のおばあちゃんが僅かに残る勇気を振り絞って借りた時間だもの、無駄にはできない。『彼女』も一秒でもあなたと長く一緒にいたいと思うはず。彼女のために用意した時間よ、一秒でも欲しいの」
「その通りです。二十四時間、ぼくはあなたの望むままのお相手をさせていただきます。何なりとおっしゃってください。人間のホストほどのことはできないかもしれませんが、あなたのために精一杯がんばります」
と、ホストはできるだけの誠意を伝えた。が、脳の一部が機械なので、感情表現は人間に劣り、どこか一本調子に聞こえてしまう。その難点を抱えたまま、ホストは老女に疑問を投げかけた。
「ただ…さきほどからあなたがおっしゃっている『彼女』とは?今日、ぼくがお相手を務めさせていただくのは、あなたではないのですか?」
すると、老女は意味ありげな微笑を浮かべ、さらに謎めいたことを口にした。
「あなたの相手は、私ではないわ。でも、私でもあるのよ」
「申し訳ありません」バイオロイドのホストは、心から恐縮していた。「ぼくの感情レベルでは、あなたのウィットを理解できないようです。もう少し分かりやすく言っていただけますか?」
と、心細げにうつむいてしまう。
さすがに老女もかわいそうになって、
「ごめんなさい。あなたが悪いわけではないから、安心して。さあ、なぞ解きをしましょう。その白い布を外してくださる?」
と、ある一点を指し示した。
そこには、白い布をかぶった物体がある。布の上からも、それほど大きなサイズではないことが分かる。老女が煙草を吸っていたのを思い出し、少し大き目のライターかと思いながら、ホストは白い布を外した。
現れたのは、ライターでもシガレットケースでもなかった。
コンピュータ、何かの用途を目的としたメカだ。
立方体の金属の箱に、同じく金属の輪が付属している。おそらく指を通すのだろうと、そこまでは予測できても、何のためのメカなのか予想できなかった。ちょっと見は、雑誌で見たことのある何世紀か前の、指で測る血圧計か、ウォークマンにも似ているのだけれど…。
「あなたに、四十年前に戻って、三十歳の私に会ってきてほしいの」
合点がいかず、ホストは老女と不思議な装置を交互に見るばかりだ。
「四十年前の今日に戻って、三十歳の私と、誕生日を祝ってほしい」
老女は窓辺に歩み寄り、庭に咲き誇る満開の薔薇を見つめた。彼女の瞳は薔薇で埋め尽くされていたが、その色は瞳に映えない。きっと薔薇を見つめているのではなく、もっと別のものを見ているのだ。
「私ね、恋の少ない人生だった。とうとう結婚もせずに、独りで人生を来てしまった。たくさんの出会いがあったのかもしれない。でも、臆病さと卑屈さで、通り過ぎるほとんどを見逃してしまったの。周りの知人や友人が愛する人を得て幸福になっていくのを、いつも傍観するだけ。ああ、私はそんな運命なんだと、歳を取るにつれて、少しずつ少しずつ諦めていった。
でも、そんな私にも夢があったの。誕生日を恋人と過ごすこと。毎年歳を取るたびに夢敗れたけれど、今年がだめでも来年が、来年がだめでも再来年が、再来年がだめでもあの特別な歳の誕生日だけには…!」
「『特別な歳に誕生日』?」
老女はホストに振り返りはせず、瞳を伏せる。
「数字の一桁に『0』のつく歳――十歳、二十歳、三十歳と――十年毎に巡ってくる0のつく歳の誕生日よ。
十歳のときは子供すぎてまだ感慨はないけれど、人は十代から二十代、二十代から三十代と、二桁目の歳の数字が変わるたび、人生の次のステージに踏み出したことを実感するの。また、いたずらに過ぎ去った若い十年を思い知るのだわ。だから、その区切りとなる0のつく歳の誕生日は、例年の誕生日よりも特別なのよ。
私にとっても特別だった。ボーイフレンドもいない寂しい十代のとき、せめて二十歳の誕生日は素敵な彼氏と過ごしたい、と夢見た。
それはかなわなかったけれど、三十歳のときは優しい夫と、できればかわいいベビーと誕生日を迎えるはずだと、信じた。
でも、現実の私は独りだった。青春は音もなく過ぎ去っていく。
そのくせ四十歳こそ、今まで独りで生きた分、愛するだれかと、幸福で豊かな誕生日を迎えられるかもしれないと淡い期待を抱いたの。
ところが、私は五十になり六十になり、恋は夢の中からも遠ざかってしまった」
老女はあいかわらず庭を眺めていた。薔薇の影が老女の顔を青く映した。老女は窓ガラスに掌をつたわせる。置いてきた何かを愛おしむように、ゆっくりガラスの表面を撫でた。
「そして私は七十になった。特に取柄もなかったけれど、まじめで用心深かったから、毎日勤めに出て働いて、お金だけは貯めたわ。だから、たとえ独りきりでも、贅沢さえしなければなんとか生きていける。友達もいたし、両親にも愛された。旅行もしたし、いろんな趣味もあるの。おそらく、もう長くは生きられないけれど、決して悪い人生ではなかった」
「でも、心残りがある。それが、『0のつく誕生日』なのですね?」
他人の口からそれを言われて老女は改めてはっとしたようだったが、若い時代の激情は過去においてきた。もう胸の内を揺さぶられるはずもない。
「そう。もう今年が最後の0のつく誕生日かもしれない。この日に心残りを消して、すっきりしたかったの。だから、あなたを呼んだ。パンフレットの写真であなたを見つけたとき、一目で気に入ったの。奇麗で優しそうで、私が人生でずっと夢見てきた王子様そのものだった。ホスト派遣料は想像以上にお高かったけれど、今日は特別な日だもの、かまわないわ。
それから、同じレンタルでもあなた以上にお高くて申請も面倒だったのが、そのタイムマシン」
ホストは改めて装置を眺めたが、とても手にしてみようとは思わなかった。掌にすっぽりおさまる、というよりは胸ポケットにすんなり入ってしまうシンプルな立方体。しかし、側面から突き出る丸いボタンをうっかり押しかねないと、ホストは恐れたのだ。