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0のつく誕生日

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昨夜の雨のなごりの露をこぼして、最後のつぼみが花開いたので、庭中の薔薇は満開に咲きそろった。

おりしも今日は、庭の持ち主の老女の、七十回目の誕生日だ。

老女は、自分の七十歳の誕生日に、出張ホストを呼んでいた。

ホストは、指定された時間通りに現れ、コンピュータのドアに案内されるまま、リビングにやって来た。そして、満開の薔薇の庭を背にして佇む老女を見つけた。

ホストがはっとしたのは、老女が歳に似合わずしゃんと背筋を伸ばしていたからだけではない。薔薇の影を横顔に映して煙草をくゆらせている姿が、とても優雅だったからだ。

彼女の大きく開いた胸元は、骨が浮き上がり皮膚もがさつき、染みも色濃く点在している。しかし、深みのあるワインレッドのドレスは、彼女によく似合っていた。

老女も、ホストの姿を認めるなり、老いて輝きが鈍くなった瞳を大きく見開いた。まるで夢にも思わなかった何かに遭遇したみたいに。

ところが、老女の表情を巧く理解できなくて、ホストの胸に不安のインクがポトリと落ちて広がった。人間より感情が希薄な造りのはずなのに、ホストは、今日はことさら断られることを哀しく思った。

「ぼくでお気に召さないようでしたら、今なら別の者に変えられますよ。お客様のもっとお好みの男性が当ホストクラブには必ずおりますので、どうかご遠慮なく…」

と、初対面の客に言う、お決まりの口上を続けようとしたとき、老女が慌てる仕種で首を振った。

「いいのよ、あなたで。いいえ、十分よ。十分、理想通りだわ。あんまり理想通りで、少し驚いただけ」

老女は、煙を境に目を細めてホストを見つめた。自分を眩しそうに見つめるその瞳に、ホストは、拒否されなかった安堵もつかの間、照れくささに所在がない。

彼の高い上背、長い足、それから端正な顔立ちは、今身に着けているスーツが似合うために計算して造られたようなものだ。しかし、彼は、人間がするように自分の美と自信をイコールで結ぶことをあまりしないので、羨望の視線にもたじろいでしまうのだった。

老女は、そんなホストの困った様子を、彼の純粋な性質ゆえんとは理解しなかった。己の煙草を持つ乾いた手を見て、溜め息をつく。

「こんなおばあちゃんで、あなたの方が驚いたわね。ホストを呼ぶなんて、年甲斐もないと呆れられてもしかたがない。でも、大丈夫。今日、あなたに来てもらったのは、こんな年老いた人間の相手をしてもらうためではなく…」

「待ってください」ホストが慌てたのは、職務の最初の義務である「使用説明」を終えていないうちに、客が要望を切り出そうとしたからだ。

「ご了承済みかとは思いますが、一応決まりですので、最初にお断りしておきます。ぼくは、ホストです。ただし、人間の男のホストではありません。ぼくは、『バイオロイド』です」

バイオロイド――遺伝子工学と機械工学の飛躍的な発達の複合物で、人間の叡智の結晶だ。人の遺伝子のクローンと機械の掛け合わせ。生き物であり、かといって人ではない、ロボットでありながら、完全な鉄ではない、科学のキマイラ。

純粋なクローン人間は、選定された優秀なDNAを持つゆえか、ひどく傲慢で支配欲も強く、人類の脅威となった。

また、ロボットは優秀さと従順さを兼ね備えていたが、ひとたび狂えば鉄の野獣だ。多くの事故の報告例に、人々は血の通わないものへの原始的な恐怖を拭えず、普及しなかった。

そこで登場したのが『バイオロイド』だった。

皮膚や髪、顔のパーツ等々、表層は人のクローン細胞で造られ、見かけは人間そのものである。骨や筋肉、内臓、血液、脳の一部もクローンだったが、「用途」に合わせて機械が組み込まれた。

「用途」というのは、労働用、知的作業補佐、愛玩用…と、人間がそれぞれのシーンで求めた「業務的役割」のことである。バイオロイドは、誕生のコンセプトからして「人」としての役割を期待されていない。しょせんは「人の細胞で造られたロボット」であり、過去の苦い経験から、そうであるべきとされていた。

ロボットたるゆえんとして特筆すべきは、その脳だ。

脳の感情をつかさどる部分のほとんどを、機械が代替している。支配欲、優越感、所有欲、凶暴性といった、主人の人間にとってよけいな感情を排斥するためである。おかげで常に従順な生けるロボットが出来上がった。人間に都合が良いよう、徹底して加工されたのである。

ただ、「少し」「もっと」「このくらい」といった、人のあいまいな表現を理解できるようにと、若干の感情を残してある。そのおかげで、人ほど激しくはないながらも、バイオロイドも、喜び、悲しみ、羞恥心、憎悪すら――持つにいたった。

勝手なもので、そのわずかな感情があるからこそ、人間はバイオロイドを信用し、愛着を抱き、迎え入れた。かくして、バイオロイドは誕生から早いうちに、社会にその存在が定着した。

そのうち、極端な人権擁護主義者たちが、バイオロイドの「人権」を訴えはじめる。

当のバイオロイドたちは自立心や独立心なんてものは省かれているので、人権うんぬんを望むはずもない。しかし、すでに人間社会になくてはならないものとして溶け込み、愛されていたバイオロイドへの人々の思い入れは、過去の時代の人種差別や闘争への同情に重ねられた。バイオロイド人権論は世論におおいに支持された。

やがて、世論に弱い各国の政治家たちにより、バイオロイドの人権を保証する立法が成立する。それまでは、バイオロイドは「物」として持ち主に権利が約束されていた。しかし、ついに彼らは「人」としての権利を立法上で確約された。「人ではない」とされた当初のバイオロイドのコンセプトと、矛盾しているにも関わらず。

こうして、バイオロイドの誕生の歴史からそれほど時経たずして、またバイオロイドの意志をよそに、彼らは「独立」を手に入れた。認められなかったのは政治参加の権利くらいだ(バイオロイドは従順ゆえに人間の意図に左右されやすいため公平な判断ができない、という理由で)。しかし、財産所有の権利、教育を受ける権利、雇用主を選ぶ権利、結婚の自由までも、彼らには認められた。

ところが、バイオロイド人権が成立しても、バイオロイドたちの生活は変わらなかった。生来従順であるよう仕込まれている彼らは、特に環境に不満を抱くでもなく、一個の人間たろう自立心など持っていない。彼らは、今まで通り同じ場所で働くことを望み、同じ主人に仕えた。たまに独立して暮らす者があっても、それは彼自身の望みというよりも、他者の期待に応えてだ。

法律ができようが条例が施行されようが、かつて人類が一つの権利を手にするたびに起こしたような騒動は、何も起こらなった。バイオロイドは皆、優しく従順で争いを嫌う。そう造られているからだ。

バイオロイド人権で幸福になったのは、むしろ人間の方だ。法律上で彼らを自由にしたことで、彼らを囲っている罪悪感から解放され、安堵した。そして、自分のそばから離れないバイオロイドを、一層愛したのである。
作品名:0のつく誕生日 作家名:銀子