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私の好きな歴史の中の悪女たち~東流・古今東西おんな談義~

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 江戸時代、大奥の内情について他言することはできませんでした。

 上の役職の者はお清といい、生涯、将軍や御台所に仕えて終わりですが、

 下の女中は比較的自由で、若いうちに止めて結婚もしました。

 そんな女たちでも、大奥入りするときは、

 私事、大奥で見聞きしたことは一切他言いたしません。

 と、誓約書をしたためたんです。

 なので、退職後、市井に立ち返っても、大奥で経験したことは一切、口にするのはタブー。

 そういうわけで、明治維新を迎えて明治になって初めて、

 大奥から出て来た人たちがその内情をしゃべって明らかになったといいます。

 その人たちが言うには、
 
 御年寄が外に出て役者と密通するなんて、嘘でございます

 と口を揃えて証言したそうです。

 彼女らいわく、それほど高位のお女中さまは周囲に常に人の眼があるから、

 そういうアバンチュールを楽しもうとおもっても、現実には楽しむことは無理

 だというのです。

 なので、彼女たちは江島さまの事件もたぶん、誰かが江島さまを罪にはめようと

 して、そんな言いがかりをつけたのではないかと。

 もちろん、彼女たちは、はるか昔に大奥にいた江島の顔すら見たこともないのだら、

 想像に過ぎないのですが、当時、御年寄というのはそれほど偉い立場で、

 人の眼がついて回るから、役者と人知れぬ恋に落ちるゆとりなど、あるはすがない

 というのか彼女たちの持論でした。

 では、何故、江島が陥れられたのではという推理がなりたつかというと、

 江島は七代将軍家継の生母月光院の側近中の側近、

 つまり第一秘書のような存在。

 家継は五歳で将軍になり、わずか八歳でなくなった薄幸な人です。

 八歳の子どもに何ができるでしょう?

 当然、権力は生母である月光院が握ることになり、その側にいた江島にも

 権力が集中しました。それをねたむ人は多かったのです。

 有能な江島さえいなければ、月光院は翼をもがれた鳥も同然と、

 江島を排除する動きも強かったといいます。

 そんなところから、江島を失脚させようと、かの有名な江島生島事件が

 起こったといわれているのです。

 歴史は黙して語らずとはよく言ったもので、現在は江島生島事件の定説としては

 江島が生島新五郎と良い仲になって、それが発覚して罪になったのだと

 いわれていますが、真実はどうであったのか?

 それは私たちには計り知れない歴史の闇の彼方に隠されているような

 気がしてなりません。

 私は小説では、江島をモデルにした矢代という奥女中は陥れられ

 罪を着せられたという設定にしました。

 また、最後になりますが、江島という表記も一般的には絵島の方が多いです。

 しかし、これも現実には江島であったのを、わざと絵島に変えたともいわれています。

 なぜなら、絵島の方がより華やかに見えるから。

 江島という女性をいやが上にも派手好きな、いかにも男遊びしそうな悪女に

 仕立て上げるためだともいわれているのです。

 こういうところにも、何かしらの悪意というか、陰謀を感じられませんか?

 今も昔も、女同士の嫉妬や妬みは怖いですね。

 しかしながら、一生、結婚もせずに、ひたすら将軍様や御台様にお仕えし

 て終わるだけの彼女たちの気持ちも、判らないではありません。

 また、江島の場合は単なる女の妬みだけでなく、表-すなわち政治に拘わって

 いる老中、男たちの思惑も大きく絡んでいたことでしょう。

 将軍生母の信頼も厚かった江島は、それだけの権力を実際に手にしていたのだともいえ

 ます。

 ちなみに、江島は信州高遠というところに流され、死ぬまで幽閉されて過ごしました。

 もし、これが゛てっちあげなら、相手になった生島新五郎も犠牲者ですが、

 こちらは八丈島に流刑。

 しかし何とか生きながらえて、六十か七十を過ぎてから赦免され、

 江戸に戻ってきました。そして、懐かしい生まれ故郷の土を踏んだのを最後の

 歓びとしたかのように、戻ってきた翌年、江戸で亡くなったそうです。

 その後、江島の主人であった月光院は、権力の源であった幼い将軍家継を

 わずか八歳で失い、八代将軍吉宗の治世下、大奥の片隅でひっそりと過ごしました。

 遠い高遠で江島は何を思いながら生きたのでしょうか?

 今、はっきりとは憶えていませんが、江島が亡くなったのは確か

五十歳にならない年だったと思います。

  次回は、韓国からの悪女の登場。

  お楽しみに!
   

☆ 歴史の中の真実~語られなかった想いがあります~

 皆様、おはようございます。

 ここのところ、創作ネタが多く、恐縮です

 最新作を書き出す前、私がテーマとして考えたのは、歴史の中の真実

 でした。現在、伝わっている歴史では語られていないこと、歴史の闇、時代の底に

 沈んでいった真実、そんなもの書きたいと思いました。

 洋の東西を問わず、そういった語られていない真実は必ず、どこ国にもあるものです。

 この話はたぶん、去年まだ、このブログを始めたばかりの時期に書いた記事と内容が

 重複すると思うのですが、よかったら、聞いてくださいね。

 朝鮮王朝時代一の暗君、要するにバカ殿さまといわれる燕山君ヨンサングンという

 王様、この王様の母は尹ユン氏といいます。

 名前はユン・ソファ。漢字では素花と表記し白い花を意味します。

 とても可愛らしい名前ですね。

 しかし、名前とは裏腹に、ユン氏は  悪女であったといわれています。

  成宗ソンジョンという王様のお妃でした。

 最初は側室として入内しましたが、最後には中殿チュンジョンと呼ばれる

 王妃にまで上り詰めたのです。

 元々派手好きな性格であったらしいのですが、特に王妃になってからは

 専横が目立ちました。自分の衣装を作るのに金を湯水のように使う、

 王様が他の側室を寵愛すれば、嫉妬を露骨にして、ついには王様と喧嘩になり

 その頬をひっかいたりした。

 普通の夫婦なら、夫の浮気で喧嘩して、奥さんが旦那さんの頬をひっかくなんて、

 別にたいしたことではありません。でも、相手は夫とはいえ国王なのです。

 いわゆる尊い身体に傷を付けるなどは当時は考えられないことでした。

 とにかく、あんなこんなが重なり、あまりに目に余るふるまいが多いというので、

 ついには王様にも愛想をつかされ、最後は毒薬を賜るーつまり、自害を命じられる

 という最悪の事態にまでなりました。

 いつかご紹介した張嬉嬪チャンヒビンと同じですね。でも、ヒビンは朝鮮三大悪女

 に数えられますが、ユン氏はその中には入っていません。

 何故か? あまり朝鮮史には詳しくない私には判らないことですが、

 たぶん、ヒビンは当時の王妃はじめ、様々な人を呪ったり陥れたりしました。

 そのめには手段を選ばないようなところがあった。

 しかし、ユン氏は単に嫉妬深かったり派手好きだったというたけで、