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私の好きな歴史の中の悪女たち~東流・古今東西おんな談義~

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 が、彼女は途方もない野望を抱いて、やがて昭儀ソイという高位の側室に進み、
 更にヒンという側室の中では最高位、王妃の次に位置する地位まで手に入れたのです。
 粛宗ただ一人の王子の生母でもあったことから、絶大な権力をふるい、
 我が物顔にふるまい、最後は身分の高い家柄から嫁いできた王妃を蹴落とし、
 中殿チュンジョン―正式な王妃とまでなりました。
 この追放された王妃を仁顕王后インニョンワンフ・にんけんおうこうーといいます。
 幼いときから大変聡明で人柄も良かったことから、見込まれて
 粛宗の二度目の后に迎えられた名門の姫君です。
 この仁顕王后がヒビンのあまりの度を過ぎたふるまいに憤る女官たちに

 ―天が遠くにあるからと甘く見てはいけないー

 と言ったそうです。
 つまり、ヒビンは今、天を恐れぬ悪行を繰り返しているが、いずれ天の仏罰が下される
 だろう。悪いことを誰も見てないと思っても、天だけはちゃんと見ているのだと
 女官たちをさとし、宥めたとか。

 やはり、ヒビンは相当の悪女だったのでしょうか。
 しかし、これは仁顕王后のお側に仕えた女官が書き残した日記に書かれていることです。
 ヒビンは王妃となり、女としての栄華を極めましたが、最後は王の寵愛と信頼を失い、
 王妃の地位も剥奪されて服毒死を命じられました。
 なので、敗者か勝者かといわれれば、間違いなく敗者です。
 なので、結局、ヒビンなき後、再び王妃に返り咲いた仁顕王后側の人は勝者。
 勝者が書いた敗者の姿ということになれば、必ずしも全くの真実かどうかは
 判りません。

 ヒビンはまた富子同様に時代に翻弄されたという見方もできます。
 当時、王国の朝廷は南人ナミンと西人ソインという二つの考え方の異なる大きな
 勢力があい争っていました。
 当時、幅をきかせていたのはソインで、ナミンは何とかして勢いを巻き返したい
 と考えていたのです。
 そのためには、まず国王の心を動かすことが必要でした。
 国王といえども、生身の男。
 美しい女には弱いはず。彼等は国王の心を虜にし、意のままに動かすための美しき
 手駒として、チャン・オクチョンという若い女官に白羽の矢を立てました。
 オクチョンは元々、美しく、しかも聡明な上に、のし上がりたいという野心も
 人並み外れて強かった。
 彼等の望みを見事に叶えて国王の心を虜にし、寵愛を受けるようになりました。
 そして、ヒビンのとりなしで、粛宗はナミンをも重用するようになり、それまで
 なりを静めているしかなかった勢力がここに新たな脅威となったのです。
 つまり、ヒビンはナミンを代表する人物でもありました。
 まあ、ヒビンの方もなりあがりたいという野望を叶えられたのですから、
 一方的に利用されただけというわけではないかもしれませんね。
 でも、私はやはり、彼女が政治に巻き込まれた哀れな女性という見方をどうしても
 してしまいます。
 
 チャン・ヒビンはあまりにも有名で、韓国でもこれまでに何度も色んな女優さんが
 演じてドラマになりました。
 私が今、見ている〝トンイ〟というドラマは日本でも既に放映されているので、
 ご存じの方も多いでしょう。
 人気のある時代劇です。ヒロインはトンイといって、これはヒビンよりも更に
 身分の低い水くみをしていました。それなのに、やはり、粛宗の眼に止まり、
 側室となり、歴史上名高い英祖ヨンジョの生母となった人です。
 このトンイにもヒビンが重要な役どころとして登場しますが、
 このドラマではヒビンは悪女ではなく、むしろ高潔で人としての信義を重んじる
 聡明な女性として描かれています。
 なので、本当に何が真実が判りません。
 私は日本人なので、たまたま初めて見たドラマが定説どおりの悪女としてのヒビン
 を描いていたから、ヒビンを悪女として認識しました。
 でも、初めて見たのがトンイで、そこでヒビンを見ていたら、ヒビンが悪女だなんて
 思いもしなかったでしょう。
 つまり、一人の人物でも、描き方によって印象がこれだけ違うということです。
 余談ですが、粛宗という王様は身分の低い女性が好きだったともいわれといるそうです。
 確かに、ヒビンにしろトンイにしろ、本当なら王様の手のつくことが信じられないほど
 身分の低い女性でしたから。

 日本でも徳川家康は身分の低い女性を好んだといいます。
 それは、高貴な姫君は贅沢だしワガママ、更に身体も弱くて子どもも満足に生めない。
 でも、農民や下級武士の娘は丈夫で、質素にも慣れているし、何より健康で多産。
 当時、武家にとって子だくさんは常識でした。
 更に、家康は出戻りならなお良いといったそうです。
 理由は、一度、出産経験のある女なら、間違いなく自分の子どもも生んでくれるだ
 ろうから。
 いかにも、現実主義らしい家康ですね。
 また、豊臣秀吉は反対に高貴な家柄の姫君を傍におきたがりました。
 主君信長の娘を側室にしたりとか。
 秀吉か自分が農民上がりだと出自にもの凄いコンプレックスを抱いていたので、
 身分の高い女性を側室に迎えることで、自分に箔をつけたかったのだともいわれて
 います。
 そういえば、嫡男秀頼を生んだ淀殿もまた、信長の姪で高貴な血筋です。
 女性の好みもやはり、色々な理由から来ているのでしょうか?
 

  どうも話があちこち飛びましたが、今回はここらへんで。
 また、今度は淀殿の話なんかもしてみたいと思います。
 

こんにちは。

 皆様、江戸時代に起きた江島生島事件をご存じでしょうか?

 歴史好きの方なら、耳にされたことはあるかもしれません。

 七代将軍家継の時代の大奥で起きた事件です。

 当時、江戸城大奥で最高位の御年寄を務める江島という女性が芝居小屋の

 女形生島新五郎と密通したという罪で捕らえられ、処罰されたこの事件は

 あまりにも有名で一大スキャンダルとなりました。

 実は、今、別サイトで連載中の時代物の舞台が大奥で、これをモデルにした事件を

 描いているのです。

 まあ、それはさておき、この江島という女性、御年寄という役職ですが、現実には

 まだ三十代の初めであり、女盛りです。

 大奥の女性は一生、外に出られないし、結婚もできません、

 上の役職になればなるほど、一生奉公の傾向は強かった。もちろん、江島もその

 例に漏れません。外出はできないと言いましたが、もちろん、ずっと大奥に閉じこもり

 きりというわけではありません。

 例えば、お仕えする女主人が寺参りに行ったりするときに、お供で外出したり、

 または代参といって、代わりにお参りする場合は別。

 更に大勢でうち揃って芝居見物に出かけるときも、たまにはありました。

 せめて、これくらいの息抜きは許されても良いでしょうね。

 江島の罪が告発されたのは、その芝居見物のとき。

 ついでに男前の役者と恋仲になっていたということで捕らえられたのです。

 しかし、現在では、この江島生島事件は、実はでっちあげーつまり、江島は陰謀に

 よって陥れられたのではないかという説もあります。