そんな二人で手を繋ごう
2.そんなことがあったなんて
夢を見た。幸せだった頃の夢だった。
俺に笑いかけてくるあいつ。暖かい腕の中。悪戯に落ちてくるキス。ゆったりと流れる、優しい時間。
目を開けば、全てなくなるものだけれど。一筋の雫がどうしても頬を伝うけれど。
それでもやっぱり、俺は間違っていなかったんだと思うんだ。
この学校に誠しやかに囁かれている噂がある。
『スペードのキングがこの学校にいる』
実はこの噂、というか『スペードのキング』という名称はこの学校に俺が転入してきてから早一ヶ月聞かない日はないというくらい耳にするんだけど。
そうだな。そろそろ素直に言ってもいい時期なのかも知れない。
「『スペードのキング』って一体何?」
全ての授業が終わってHRまでの短い時間、噂の『スペードのキング』の話を持って嬉々としてやってきた勇樹にそう聞き返すと、奴は面白いくらいにピシリと固まった。
あ、これは……。
「は、はああぁぁぁっっ!?!?」
勇樹の素っ頓狂な声が教室中に響き渡った。
しかし俺もこいつとはそこそこ付き合いがあるわけで、まぁ途中何年かのブランクがあるとしても危険予知はきちんと働いてくれてすんでのところで耳を塞ぐことに成功した。
それが出来なかった周りの数名の生徒は耳を押さえて恨みがましそうな目で勇樹を睨んでいる。
うんそう、勇樹が1人で叫んだだけだよ。俺?俺は関係ないからさ。うん、全然。だから俺まで睨まないで下さい。一緒にしないで。切実に。
「おま……っ!!バッッカじゃねぇの!?え、スペード知らねぇの!?うっそお前……バカ!?」
それからHRまでの間中勇樹はずっと「バカなの!?お前バカなの!?」を繰り返していた。
幾ら温厚な俺と言えど、一応堪忍袋の緒とか沸点とかはあるわけで。
とりあえず2,3回なだめても大人しくならなかったので仕方なく前の英語の時間に使ってた辞書を顔面に投げつけてやった。
「へぶぅぇ……っ!!」とか言ってた。キモイ。
だが俺にも人並みに噂話に興味はあった。
それもあの勇樹の態度。知らない方がおかしいと言わんばかりの物言いは、この一か月で少なくとも誇張とは言い切れないかも知れないとも思っている。
だからHRの後次々と教室を出ていく連中を横目に、俺の鞄はまだ机の横に引っかけれられたままで、立ちあがることもしなかった。
頬杖をついてどこともなしに視線を投げる。
前の席、机の中に椅子が収まりきってない上にちょっと斜めに歪んでいるのがさっきから少し気にかかる。椅子の右足を蹴れば綺麗に収まるかな、と考えているとその椅子ががたりと引かれた。
勿論椅子が1人でに動くわけもない。動かしたのは勇樹だった。
そのまま椅子の向きも変えないで、それを跨ぐようにして座り俺と向かいあう形をとる。
「さっきの続き」
俺は頬杖をやめないまま、勇樹に目線だけで続きを促す。
勇樹は手に持っていた鞄を俺の机の上に置いて、それを抱えるようにして俺と顔を合わせた。
「お前でもanoth3r(アナザー)ぐらい聞いたことあるだろ?」
勇樹の問いに、コクリと頷く。
アナザーなら……いやアナザーこそこの界隈に住む者達で知らない者はいないだろう。
数ある族を押しのけて、県のトップに立つグループ。
早々と闇の中へと片足を突っ込んだその人物達は、けれど同時に絶対的なカリスマのような輝きを持っている者達で。大半の学生が畏怖の念と共に、羨望の眼差しを彼ら向けていたのも事実だった。
久々に耳にする名前だ。そしてそこではた、と気付いた。
そう言えばここに来てからその名前を聞いたことがない。
「今アナザーってどうなってるんだ?」
俺が一年前までこの街にいた時には、その名前を聞かないことなんてなかった。
その変わりに出て来ているスペードやらなんやらという名前。
この一年で一体何があったというのだろうか。
「まぁ簡単に言やぁ、アナザーが分散した、って感じかな」
「アナザーが?」
「そう。アナザーの創始者で総長だったヒノが族抜けしてな」
事実上の解散だったらしい。
アナザーの総長は俺より5つ年上だ。まぁ、そろそろバカも潮時だと思ったんだろう。
あの人は頭がいい。バカなんざ今しか出来ないんだから、出来るもんは出来るうちにやっとくべきだろ、と不敵に笑いながら言っていたのを思い出す。
きっとこの人は人生を楽しみ尽くして死ぬんだろうなぁ、と幼いながらに思ったものだ。
「2代目は置かなかったのか?」
畳むにしても、アナザーはかなり大きなグループだ。それに県内トップという力だって持っている。
その名前を傘代わりに彼らの下にいたものも多かったはずだ。
そう簡単に「俺辞めるわ!」「そうっスか~」とはいかなかっただろうに。
「なんか、逆にでかくなりすぎたんだとよ」
アナザーの天辺は、ヒノ。
ヒノなくしてアナザーはない。ヒノがいたからアナザーはあった。そしてこれほど大きくなることが出来たのだ。
もう後釜など考えられないほどに、ヒノの存在はアナザーの中では確固たるものになってしまっていた。
「だからヒノが族抜けして、自然とアナザーは解散って流れになったんだ」
この期に足を洗ったものも少なからずいたらしい。
特に創立当初からいたような古参の者は。そりゃそうだろうと思う。
だが、まだまだバカし足りない輩も勿論いるわけだ。
「バラバラになったわけだけど、まぁだいたい下の奴らっつうのは今までのに代わる次の傘を探すもんだ」
「なるほどね」
「そして当時いた幹部の中でも、特に4人の元に人が集まった。それがここ1年での大まかな動きだ」
「はぁ、この1年でそんなに事が動いてたのか……」
1年間この街を離れていた自分がわかるわけない。まぁこの短い間でよくそんな大きな動きがあったもんだと思う。
俺がなるほどと1人頷いていると、勇樹がきょとんと俺を見つめていることに気付いた。
元々細い目が少しだけ大きく開かれている。
「ん?どした?」
「え、お前街離れてたって……お前が行った高校、確か盛南(せいなん)だろ?」
おー、盛南高校か。懐かしい名前が出てきたなぁ。
「俺去年1年さ、諸島にいたんだよ」
だから盛南には高1の1年間しか通ってない。
そう事もなげに告げれば、幼馴染のこいつの目は盛大に見開かれた。
続いて口から飛び出た声は上下の階のクラスにも届いたのではないだろうか。
耳を塞いでも防ぎきれなかった声に盛大に眉をしかめると、うるせぇ!!と勇樹の頭を殴った。
作品名:そんな二人で手を繋ごう 作家名:ポウ