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天つみ空に・其の六~白妙菊の約束~

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 お高くとまって、普段は自分からは話しかけてくることさえなかった白妙が何故、突然、お逸にそんなことをしようとしたのかは全く理解できなかったし、自分がそこまで他人に憎まれていることを知り、哀しく思ったものだったけれど。
 朋輩である紫乃に事ある毎にいびられ、物陰でひっそりと泣いている妙乃は、そんな自分にどことはなしに似ていると思った。
 お逸は涙ぐんでいる妙乃を痛ましげに見つめていたかと思うと、懐からそっと一枚の文を取り出した。この手紙は過ぐる日、妙乃が廊下に落としていったものだ。
 そういえば、あのときも妙乃はひっそりと涙を流していたのだった。
 お逸の瞼に改めて、あの日の妙乃の泣き顔が甦った。あの時、お逸は一刻も早く手紙を妙乃に返さねばならないと思ったにも拘わらず、実際には、あれからすぐに盗っ人扱いされる事件が起きたため、妙乃に返すことができなかった。
「妙乃ちゃん、この手紙をあなたに返さなきゃならないと思っていたんだけど、私の方も色々とあって遅くなってごめんなさいね」
 そっと文を差し出すと、妙乃はハッとした様子で眼を瞠った。
「これは―」
 愕きに眼を見開いたまま見つめてくる妙乃に、お逸は安心させるように微笑む。
「六日前になるかしら、あなたが私を見て愕いて走っていってしまった後に落ちていたの」
 妙乃はなおも物問いたげに見つめる。
 お逸は微笑んだまま頷いて見せた。
「大丈夫よ、私はこの手紙のことについては誰にも喋ったりはしない。妙乃ちゃんもこの手紙は落としたりはしなかったし、私も拾ったりはしなかった。最初から拾いもしない手紙のことを私が知るはずもないし、知らないことを喋りたくても、喋りようがないわ。ね?」
 妙乃から、しばらく声はなかった。
 心配になったお逸が窺うように見ると、妙乃がポツリと呟いた。
「ありがとうございます。本当に何てお礼を言って良いのか、私―」
 口ごもる妙乃の眼が濡れている。
 お逸は少し躊躇い、低声(こごえ)で続けた。
「それよりも、妙乃ちゃん。余計なお節介だとは思うけれど、くれぐれも早まったことだけはしないでね?」
 刹那、妙乃の潤んだ瞳が揺れる。
 お逸は心を鬼にして言った。
 脚抜けした女郎は無事では済まされない。妙乃には悲惨な末路を辿って欲しくはなかった。
「この文を書いたお人が妙乃ちゃんにとってどんな拘わりになるのかは判らないけれど、一生懸命に書いたってことは、私にもすぐに判った。こんな文を読めば、妙乃ちゃんがいてもたってもいられなくなる気持ちは判るけど」
 と、妙乃が消え入るような声で言った。
「この手紙を書いたのは、私の従兄なんです」
「従兄?」
 お逸が少し愕いて繰り返すと、妙乃は頷いた。
 その儚げな顔に一瞬、笑みがひろがる。
 刹那、お逸の胸にある予感が湧き上がった。
 もしや、この手紙を書いた〝しょうた〟という人物は、妙乃の良い人ではないのか。
 それは何の証拠もあるわけではなく、別に確信があるわけでもなかった。しかし、お逸も同じように烈しく切ない恋に身を灼くからこそ、同じ女としての予感めいたものを感じたのではないか。
「私が生まれたのは江戸の近在の小さな村です」
 妙乃はそう言って、お逸も聞いたことのある村の名を挙げた。
「毎日を暮らしてゆくのさえ覚束ないような貧乏暮らしでしたけれど、両親と弟の四人で穏やかに生きていました」
 そんなある日、妙乃の運命を一転させる凶事が起きた。父親が畑仕事をしている最中に倒れたのだ。その日は酷暑の日で、長時間炎天下にさらされた父はは暑さにやられたのだった。
 直接の死因は卒中の発作であった。まだ三十代半ばの突然の死は、あまりにも早すぎた。働き手を失った一家の暮らしは、ますます傾いていった。母親は気丈にも残った子らを育てようとこれまで以上に身を粉にして働くようになったが、結局、このことが因で、母親までもがほどなく過労で寝つくことになる。
 母親は最後まで幼い姉弟のゆく末を案じつつ、父の後を追うようにこの世を去った。妙乃と弟は相次いで二親を失い、同じ村に住む伯母―母の姉―夫婦に引き取られる。が、この伯母夫婦というのが大変なごうつくばりで、妙乃と弟を引き取って三月(みつき)と経たぬ中に、妙乃を女衒に売り飛ばしてしまったのだ。
 伯母夫婦には倅が一人いて、翔太といった。妙乃は幼い頃から翔太とはよく一緒に遊び、兄と妹のようにして育った仲で、幼い二人の間にはいつしか淡い思慕が芽生え、それは刻をかけて、ゆっくりと幼い恋へと育まれていった。
 この年上の従兄は最後まで妙乃を売ることに猛反対していたものの、伯母たちは多治郎が村に来る日、そのことは内緒で翔太を遠方まで遣いに出し、その隙に妙乃を多治郎の手に渡したのだ。翔太が夕刻、村に戻ってきた時、既に妙乃は多治郎に連れてゆかれてしまった後だった。
 あの手紙をよこしたのがその翔太という従兄であった。その後、引き続いて届いた翔太の別の手紙によれば、弟が病気になって、明日の生命をも知れぬ状態であるという。姉である妙乃にしきりに逢いたがっているから、一刻も早く帰って欲しいとのことであった。
 ほぼ相次いで到着した二通の手紙の内容は大体は同じことが記されていたが、そのことがかえって弟の容体のただならぬ様子を伝えているようで、妙乃はいたたまれない日々を過ごしているのだった。
 春の陽が真っすぐに地面を照らしている。
 この樹の蕾が綻ぶまでに、そう幾日もあるまい。時折、穏やかな風が優しく二人の少女間を吹き抜けてゆく。妙乃とわずかな距離をおいて向かい合うお逸の瞳に、桜の樹の枝の向こうにひろがる春の空がかいま見えた。
 蒼一色に塗り込められた空に、刷毛で描いたようなひとすじの白雲がたなびいている。ずっとその雲を眺めていると、次第に風に押し流され動いてゆくのが判った。
 風が吹く度に、地面に落ちた桜の枝の影が細かく震えている。その動きを自然と眼で追っていると、妙乃の声が耳を打った。
「もう三年は前になるでしょうか。あれは私が八つになった年だったと思います」
 妙乃は眼を伏せた。記憶を手繰り寄せるかのように、じっと眼を瞑っている。
「確か、季節は夏の終わりで―、そう、私の家の近くに小さな川が流れているのです。その川原には丁度、白妙菊が一面に咲き乱れていて。それはもう、見事な光景でした」
「白妙菊―?」
 お逸が小首を傾げると、妙乃は淡く微笑した。
 陽光が妙乃の横顔に微妙な陰影を与えている。それはどこか十一歳の少女とは思えぬ大人びた、それでいて儚げな美しさにふちどられている。
「私の村ではよく見かける花です」
 当たり前のように言う。
「白妙菊なんて、きれいな名前ね。雪のように白い花が咲くのかしら?」
 何げなく訊ねてみると、妙乃はまた、小さく笑った。
「初めて見る人は皆、愕きます。お逸さんもきっと実際に眼にしたら、びっくりすると思いますよ」
「あら、どうして?」
 そんなに変わった菊なのだろうかと思っていると、妙乃が笑顔で説明してくれた。
「花そのものは黄色で、小さくて、とても可愛らしいんです。でも、変わっているのは葉の方なんです」
「葉が変わっているの?」