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暗行御使(アメンオサ)の秘密~燃え堕ちる月~4

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―若さまのご評判は以前から耳にしているので、是非、一度、翠月楼にお越し下さいますように、とっておきの良い妓をご用意してお待ちしております。

 そんな内容の文を読んで、好き者の直善が飛び出してゆかぬはずがない。
 いつも外出には必ず袖にしまっている財布代わりの巾着がそっくりなくなっていたことから、最初は物盗りの犯行と推測された。
 が、発見された直善の骸には致命傷となった背中の傷他、胸にも浅い刺し傷があった。背中は刀でやられたようだが、胸は簪のような先の尖った凶器でやられたのは明白だ。しかも、相当量の酒を呑んでいたことまで判った。
 簪、酒とくれば、この殺人に女が絡んでいる推理するのは難しくはない。だが、捕盗庁はおざなりに調べただけで、直善は〝ゆきずりの物盗りによって殺害された〟ということになり、胸の傷や飲酒については一切公表しなかった。
 実は、右議政の方から捕盗庁に〝この件については深入りせぬように〟と内々の厳命があったのである。
 息子の仇を討ってやりたいが、事を荒立てれば、自分の悪事まで暴かれる危険性がある。しかも、仮にも右議政の息子にして朴氏の嫡男が女絡みの痴話喧嘩で女に殺されたとあっては、示しがつかない。家門の恥ともなり得る話だ。
 老獪で冷酷な政治家も常から息子の女癖の悪さと放蕩癖には手を焼いていたのだ。
 直善の死を報された時、右議政が最初に発したひと言は、
―馬鹿め、いずれこのようなことになると思っていたわ。
 だった。どう見ても、息子を喪って嘆き哀しむというより、ホッとしたように見えたとしか見えなかったとか。
 その後、直善の父真善は改めて息子の死を〝病死〟として国王に届けた。
 直善には不肖の長男と違い、出来の良い次男がいることで知られていた。
 朴氏の家門は、後にこの次男が継いでいる。

「やはり、行くのか?」
 静かに問われ、凛花は自らの決意を示すように深く頷いた。
 仇討ちを果たしてから、数日が過ぎている。この日、凛花は皇氏の屋敷を訪れていた。
「そなたが選んだのは相当に辛く厳しい道程(みちのり)だぞ。しかも、一度脚を踏み入れれば、後戻りはできぬ。果たして、倅はそなたが茨の道を歩むことを望むだろうか」
 声は至って穏やかだったが、その裏には深い懸念の色があった。
 上座の座椅子(ポリヨ)に座っているのは皇秀龍―、亡き恋人の父であり、文龍が生きていれば、凛花の義父となったはずのひとである。現在、礼曹判書の要職にあり、国王清宗が最も信頼を寄せているといわれる忠臣だ。
 亡くなった夫人とは評判の鴛鴦夫婦でありながら、何故か若い時分から翠月楼の女将香月と深い関係を続けているという有名な逸話があった。香月がまだ妓生になる見習いの少女の頃からの付き合いだというから、人間というものは判らないものだ。
 まさか香月が実は男で、秀龍と香月の兄が親友同士であったなどと知る者はいない。香月の父の大臣が陰謀によって陥れられ処刑、陰謀の露見を怖れた政敵に一家は惨殺された。残ったのは、幼かった香月一人。香月の兄は事件の起きる少し前、〝自分に何かあれば、弟を頼む〟と秀龍に告げていた。
 様々な葛藤を経て、これまでの人生を棄てて女人として生きる香月を長年に渡って見守り続けてきた関係が、世間では〝香月は礼曹判書の若い頃からの愛人〟と見なされている。秀龍は律儀なその性格どおり、もう四十年以上に渡って、亡き友との約束でもある遺言を守り続けているのであった。
「大(テー)監(ガン)」
 凛花は静かな声音で呼びかけた。
 大好きだった男の父である。既に五十代も半ばを越えた秀龍だが、背筋も真っすぐと伸びて、到底実年齢には見えなかった。頭髪にはかなり白いものが混じっているけれど、せいぜい四十代後半にしか見えない。
 若い頃は息子同様、義禁府一の遣い手として知られ、若い女官たちから熱い視線を集めたという。秀龍が二十歳で初めて科挙を受け、並み居る受験生の中で群を抜いた成績で首席合格を果たした―その話は半ば伝説として語り継がれている有り様だ。
 むろん、凛花は秀龍と香月の関係に秘められた愕くべき真実を知らない。ただ、生前、文龍はよく言っていた。
―父上と香月が本当のところ、どんな関係なのかを私も知らないんだ。ただ、私は香月とは世間が考えるような男女の仲ではないと言った父上の言葉を信じている。
 ゆえに、凛花もまた文龍の言葉を信じていた。 
「文龍さまが亡くなられた後、私は何度も、あの方の許にゆこうと思ったか知れません。しかしながら、さる一つの目的を果たすまでは、どうしても死ねないとその度に思い直して何とか生き存えたのです。逆にいえば、その志があったからこそ、私は生きられたのです。今、やっと、本懐を果たしました。これより後は、あの方の志を受け継いで生きてゆきたいのです」
「凛花、まさかそなたが右相大監の子息を―」
 凛花の言葉に、秀龍は思うところがあったようだ。今は礼曹判書とはいえ、かつて義禁府の役職を歴任し、義禁府長も長年務めた秀龍である。息子の〝任務〟の内容を知らないはずはない。
 言いかけた秀龍は、辛うじて踏みとどまった。
「大監」
 凛花はもう一度、心から呼びかけた。
「私は文龍さまの志を受け継ぎました。文龍さまが為そうとしていたこと―暗行御使としての任務をあの方に代わって果たしたい、ただそれだけです。文龍さまにははるかに及びませんが、あの方のおん名に恥じないように努めて参る所存でおります」
 偽らざる気持ちであった。生きる目標を見失っていた時、図らずも、敵討ちを果たしたいがためだけに生きた。
 食べたくもない食事も摂り、睡眠もきちんと取った。確かに、それは褒められた志ではないかもしれないけれど、少なくとも、それがあったからこそ、凛花は絶望の淵へと沈んで二度と浮かび上がれないとまで思いながらも、辛うじて生き延びたのだ。
 そして、これからの人生は、新たな目標を―亡き人の志を受け継いで生きてゆきたい。
 それは、敵討ちを決めたときから、ひそかに考えていたことでもあった。
 人は何か目標がなければ、生きてはゆけないし、前には進めない。今の凛花はまだ恋人の死から完全に立ち直ったわけではないのだ。自分を支えてくれるものが亡き男の志であると信じている。
 いつかまた、新たな志を見つけることができるかもしれないが、今はまだゆく手はあまりにも混沌としていて、先のことまで考えられる状態ではない。
 しばらく静寂が続いた。
 秀龍は眼を瞑り、何かにしきりに想いを馳せているような表情だ。
「国王殿下や領相大監には、私の方から上手く言い繕っておこう」
 突然、沈黙が破られ、凛花は弾かれたように面を上げた。
「大監、感謝申し上げます」
 凛花は心からの想いを込めて言った。
 文龍の死は、実はまだ公的に発表はされていない。もとより、義禁府長やごく一部の上官たちは周知の事実ではあったけれど、箝口令が敷かれて伏せられていた。
 彼の死を内密にして欲しいと文龍の父秀龍に頼み込んだのは、凛花であった。秀龍は元は義禁府にいたため、顔が利く。今の義禁府長とも懇意なので根気よく説得してくれた。