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母から私 私から娘へと ~悲しみの連鎖~

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「……種違い……?」
「お母さんに会いたい?」
「知ってるんですか? お母さんのいる所……」
「じゃあ、ここへ電話してごらん」
 そう言ってその人は、私に一枚のメモを渡した。
「お母さん会いたがってたから、きっと電話したら喜ぶよ!」

 私は正直なところ迷っていた。母に会うかどうかよりも、この話は本当なのだろうか? と。いきなり知らない人に、お母さんが会いたがってるから電話してごらんと言われても――何か釈然としないものを感じていた。
 そのあと一緒に自販機でドリンクを買って、近くのソファに座って話した。
 母の生い立ちを聞いたのは、その時が初めてだった。

 その人は「橋本 京子」と名乗った。
 私の母(和代)の産みの母親はその昔、幼い和代を残して他家へ嫁いだのだ。当時では珍しいことではなかったようだ。戦争で夫を失った若妻が、他家へ嫁いでやり直す――それだけのことだ。でも、じゃあ残された子はどうなるのか。
 和代は、実の母が生存しているにも拘わらず伯父夫婦の養女として育てられ、やはり母の愛を知らずに育った。伯父さんも叔母さんも、和代にはとても良くしてくれたらしい。子供がいなかったせいもあって、大事に育ててくれたようだ。 
 しかし伯父さんは戦争負傷者で、片腕は肘から先がなく、片足も膝から下がない、とても不自由な身体だったみたいだ。微かな私の幼少時の記憶にも、そんな伯父さんの影がぼんやりと残っている。少し怖い印象として。
 収入と言っても、僅かばかりの畑の作物を売り、国から出る戦争被害者向けの給付金での暮らし。その恩給すらたかが知れている貧しい暮らしだったらしい。もし今でも母が生きていたら、母の青春時代の話も聞けたのに。今更ながらにそう思う。
 和代を兄夫婦の元に残して嫁に行ったその人は、嫁ぎ先で一男一女をもうけた。その一女が橋本京子なのだった。その日はメモを受け取り、少し話をしただけでそのまま橋本京子と別れた。

 その後も私は母を訪ねることはしなかった。
 会いたくないのか、と問われれば、やはり会いたい、会ってみたい。それが正直な気持ちだった。しかしそれじゃあ、今まで男手一つで育ててくれた父の気持はどうなるのか。ずうーっと迷いからの結論が出せないでいた。
 高校も卒業して、病院の受付事務員として就職したある日、私は思い切って父に母のことを聞いてみた。
「お父さん、お母さんが今どこにおるか知ってる?」
「さぁー、どこにおるんかのう? ――T市におるっていうのは随分前に聞いたことあるけどなあ……」