続 帯に短し、襷に長し
職人の味方!
着物のお値段というのは、あってないが如し。
一反織るのに、何ヶ月もかかるものもあるし、一つの柄を染めるのに何日もかかるものもある。一つの刺繍にどれだけの糸が使われるか見た目では分からないし、人件費とか、そこに潜む技術料とか文化的価値とか考えたら、多少高価になるのは多めに見て欲しい。
それが本音。
だけど。
その本音を逆手にとって、何とか言う紬だからこれは何百万イエンもするのよ! とか、この大島は伝統技術だから、すっごい高いのよ! とか、この染めは、有名な染め屋で伝統工芸だから、高いのよ。
と、言うのがあるんです。
価値基準は人それぞれ。
大島に何千万も出す人が居て、それで伝統的な技術が受け継がれていくのだから、それはそれなんです。
ぼろぼろのジーンズに何十万も出す人が居るのと同じです。
でもさ。
時々、廻ってくる反物を見て、「これが、ネェ……」と、思わず見入ってしまうものがあるのも事実。
その、すばらしさに見入るのではなく、逆です。こんなお粗末なものが伝統工芸のシールを張られて、いいものよ~、すばらしいのよ~、的なうっとり感満載で持ってこられても、はあ……。としか、言いようがないのですよ。
そのシールの所為で、たいした価値もなさそうな染でも織りでも、云十万するんですよ。
一概に、騙されてる! ともいえないところが悲しいところ。
お粗末なものでも、入りたてのお弟子さんが織った物かもしれない。染めたものかもしれない。
誰だって、職人なら初めてがあるんです。
ワタクシの運針は、そりゃあ、もう、すごいものでした。
初めて縫った商品の浴衣は、これでお金がもらえるのかと思うと、申し訳ない思いで一杯だったものです。
でも、そうやって職人さんは育っていくのです。
申し訳ないと思う気持ちと、買ってくださった気持ちが寄り添うようになったら、多分、一人前。
だから。
着物のお値段は、純粋な商品価値とお客様に育ててもらっているという気持ちが入っている、と、私は思っています。
それをきちんと分かるように表記するのは難しい。
その一端が、伝統工芸のシールであったり、レッテルだったりするのです。
売る側と作る側は、その信用を、大事にしないといけない。
さて。
そんな職人の話に当てはまらないのが、仕立て屋です。
形になれば、着物というのは着られてしまうのでね。
着付けのうまい下手で、いくらでも誤魔化されるのが、仕立てというものです。
着物の中で、一番、低い位置づけになってるのも、仕立て屋なんですよねぇ。
ま、でも、たいした技術がなくても、量さえ捌ければなんとか生活していけるのも仕立て屋だったりします。
つぶしがきく分、いいか。
2015.5.12 台風間近
作品名:続 帯に短し、襷に長し 作家名:紅絹