不倫ホテル
「やだ~~、なんだか吹っ切れて燃えちゃったの」
「旦那のこと?」
「・・・・・いろいろ・・・」
「いろいろって、たくさんあるんだ?」
「・・・・・・」
紗枝子がその時、またあの暗い顔をしたのを僕は見逃さなかった。
「どうしたん?紗枝さんっていくつもの表情するよね」
「あら、そう・・・」
「うん、光と影が濃い。明るい時の顔と考えてる時の顔、極端すぎる」
「・・・・そうなんだ・・・もともと暗い顔なのよ」
「美人だから許す」
「許してもらわなくたって、いいわよ。これが私なんだから・・」
その時、彼女の携帯が鳴った。
裸のまま立ち上がると窓際に行き、携帯のボタンを押し始めた。メールのようだった。
「優、ごめんね。今日はこのまま帰らせて」
「食事は?」
「急な用事が入ったの・・・」
「・・・ああ、いいよ。気にしないでいいよ。もう今食べた所だから・・」
「ばか・・・」
それから紗枝子はそそくさと着替えを済ますと
「ここの支払いは済んでるから気にしないでね。そのまま帰ればいいから」と言った。
「もったいないなぁ~、こんないい部屋。お風呂も入りたかったのに」
「ふふん・・、じゃ、それは次回に」
笑いながら紗枝子はあっさり帰って行った。
先程までの赤い部屋での出来事はなんだったんだろう、まるで何にもなかったかのように消えて行った。
時間は針を進めるごとに過去を消してゆく。カチカチと音を鳴らしながらひとつずつ消してゆく。そして、ある時間を境に今度は過去を蘇らせる。
あの時のあの二人の体をぶつけ合った時間。
ゆっくりといやおうなしに思い出させるのも時間だ。
過ぎてゆく物語は悲しいほどゆっくり消えていく。そして楽しいほど早く消えていく。
僕は海に突き出た先端のジャグジーの湯船につかり、彼女の残した体液を洗い流した。
後で悲しまないように、夢だと思ったほうがいい。全部洗い流すことにした。
僕だけ取り残されるのは嫌だった。
彼女みたいにきれいさっぱり、思い出はこの部屋に置いて行こう。振り返らず。振り返らず。
僕はドアを閉めると、まっすぐエレベーターに向かって歩いて帰った。