小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

橋ものがたり〔第2話〕~恋心~ ・弐

INDEX|5ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 と、実に場違いなことを考えながら。
 お民にとって、源治はいつも〝斜向かいの大人しくて、放っておけない弟分〟だった。
 弟はあくまでも弟であって、その顔立ちが男前かどうかなんて気にしたこともなかったし、また気にする必要もなかったのだ。
 それが、いつからこんな妙なことになってしまったのか。やはり、兵助が亡くなってしまったことで、自分は少し気弱になってしまっているのか。
 眉月が源治の顔を淡い闇に浮かび上がらせている。月明かりに照らし出された男の顔は、愕くほど整っていた。
 二人の間に落ちた沈黙がやけに重たくて、お民は烈しく首を振った。
「まさか、あたしはたとえ首を括ったって、妾なんかになるつもりはないよ。それに、あたしなんか、奉公に出ても、三日でお払い箱になるに決まってる。大体、大人しく座って男の気を引くなんてことができるわけがないんだからさ」
 また乾いた笑いを洩らした時、源治がつと視線を動かし、お民を見た。
「どうして、お前はいつも自分をそんな風に茶化すんだ?」
 静かすぎる瞳の奥に燃える蒼白い焔に、お民は一瞬、言葉を失う。
 月光を浴びた源治の横顔が強ばって見えた。
「あたしは別に自分を茶化してなんか―」
 慌てて源治から顔を背けたお民を、源治は食い入るように見つめている。
「俺は知ってる。本当のお前は強くもなくて、淋しがりやの、ただの女なんだ。お前はいつも本当の自分を隠して、強がってるだけじゃねえのか」
 少し躊躇った後、お民はフッと笑った。
「源さん、意外に勘が良いんだね。―そのとおり、あたしはただの女さ。確かに強くもなくて、一人じゃ何もできない、弱虫。でも、あたしのような器量も良くない不細工な女が弱いところ見せたって、誰も労ってくれるどころか同情もしてくれやしない。似合わないって、嘲笑われるのがせいぜい関の山。そんなあたしに優しくしてくれた、あたしを一人の女として見てくれた男は亡くなった亭主だけだったんだよ」
「お前は思っていたよりは案外、勘が鈍かったんだな」
 源治の眼がわずかに細められた。
 お民でさえ思わずどきり胸が鳴るほど、男の色香が滲む笑みを浮かべ、優しげに眼を細めている。
「ここにもいるぜ」
 小首を傾げるお民は、裏腹に少女のようにあどけない表情だ。
「あたし、源さんの言ってることの意味が判らないよ」
 源治の意図を計りかねるお民に、源治が笑った。
「お前を女として見てるのは何も亡くなった兵さんだけじゃねえ。俺だって、ちゃんとその中に入ってるんだからな」
「―嘘でしょ」
 眼を見開いて源治を見つめていると、源治は軽く肩をすくめた。
「じゃあ、こうしたら信じてくれるか」
 いきなり抱き寄せられたお民の唇にそっと触れたのは、熱くてやわらかな感触―源治の唇だった。
「止してよ」
 お民は愕き、両手で源治の胸を突き放そうとしたけれど、源治の両手にはいっそう力が込められ、ビクともしない。
 このときほど、お民は自分が女で、けして男である源治の力には及ばないのだと思い知らされたことはなかった。
「放して」
 頼んでみても、源治はいっかな力を緩めようとはしない。
「放さない」
 だが、有無を言わさぬ強い口調とは裏腹に、源治の表情は悪戯っ子のようだ。
 お民は源治に抱きしめられたまま、大仰に溜息をついた。
「だって、あたしは、あんたより二つも年上で、おまけに後家だし、器量もてんで良くないし―」
 いつになく歯切れの悪い物言いをするお民に、源治はやや強い口調で言った。
 どうやら、今夜だけは二人の立場が逆転したようだ。
「お前は自分が考えてるほど不器量でもねえぜ」
「でも」
 お民は、何か言いかけて、うつむいた。
「俺が構わねえって言ってるんだから、構わねえんだ。それとも、何か、お前は俺が嫌いか? いつまで経っても、兵さんを忘れられねえか?」
「あたしは」
 お民は言いかけて、溢れた涙を手のひらで拭った。
「お民、俺は何もお前を泣かせるつもりも苦しめるつもりもねえんだ。お前が兵さんを今すぐに忘れられねえというのなら、俺は待つ。お前がその気になるまで、いつまでも待つよ。だから、お前がもし俺を嫌いでない―顔を見るのも厭だというのでなければ、俺と所帯を持つことを前向きに考えてみて欲しい」
 ひっそりと涙を零すお民を、源治が何かに耐えるような眼で見つめている。
「お前にとって、俺はそれほど苦痛を与えるだけの存在でしかないのか? はっきりと言ってくれ。お前の口から嫌いだと言われた方が、いっそのこと潔く諦められる」
「違うよ。あたしが泣いてるのは、確かに源さんのせいだけど。源さんが嫌いだから、泣いてるんじゃない。どうして、あんたがそんなに優しいことを言うんだろうって、あんたがあんまり優しいから、涙が止まらないんじゃないの」
 お民が泣きながら言うと、源治の瞳にかすかな希望の灯が灯った。
「それなら! 俺は期待してても良いのか。今すぐじゃなくても、いつかお前と一緒になれると思っていても良いのか」
 が、お民はゆるりと首を振った。
「駄目だよ。あたしたちは、いつまで経っても一緒になれない。いや、なっちゃアいけないんだ。だって、考えてもごらん、今はうちの人が突然あんなことになっちまって、源さんもあたしも少しおかしくなっちまってるんだよ。あたしは気弱になって、誰でも良いから、近くにいる人に頼りたい、あんたは、亭主を亡くしたあたしに一時同情してる。ただそれだけのことさ。そんなんで一緒になっても、後で二人ともに後悔するだけだよ。源さん、あんたはまだ若いんだ。それに働き者で男前だし、その気になれば、嫁の来手は山ほどもあるよ。一時の感情で一生を誤っちゃ駄目だ」
 いつもの弟を諭す姉のような口調に、源治はカッとなったらしい。
「それを、お前が言うのか。お前に心底惚れれてる俺に、お前が他の女と一緒になれと」
 烈しいまなざしに、お民はフッと顔を背ける。視線を合わせようとしないお民に苛立ったように、源治がお民の肩を掴み、烈しく揺さぶった。
「頼む、お願いだから、本当の気持ちを教えてくれ。お民、お前はそんなに俺が邪魔なのか? 俺が嫌いなのか?」
 源治に烈しく揺さぶられるままに、お民は力なく顔を上げた。
 その眼に見る間に涙が盛り上がる。
「あたしも―源さんのことが好きよ。でも、さっきも言ったでしょう。あたしたちは一緒になるべきじゃないのよ。あたしと一緒になっても、源さんは幸せにはなれない」
 そのお民の言葉に覆い被せるように、源治が物凄い見幕で言った。
「そんなことは判らねえじゃないか。俺の幸せって、何なんだ? 俺がお前にいつも傍にいて欲しい、お前の笑顔をいつも近くでを見てるのが幸せだって言うのなら、それが俺の幸せじゃないのか。な、お民。俺の嫁さんになってくれよ」
「―本当に、こんなあたしで良いの? あたしは料理はそこそこできるけど、裁縫だってろくにできやしないし、あんたもよく知ってのとおり、口だって悪いよ? ずっと先になって、やっぱり止めておけば良かったって後悔なんかしない?」
 窺うように見上げたお民の頬を、源治の大きな手のひらが包み込む。