紗の心
また路地に迷い込む。・・そんな感覚だ。
車を停めると、その人の家へと向かった。
呼び鈴を押す。玄関が開いた。
「どうぞ」
私は、その玄関の敷居を跨いだ。
「お邪魔します」
「どうぞ」とその人が、手で促してくれたのは、かつて着付けのお稽古に使用していた
部屋だ。
(もう、奥へは通してくれないのか)
部屋のドアを開けると、卓袱台が部屋の真ん中に置いてあった。
後はがらんと何もない。
お稽古で使っていた姿見鏡もない。壁の鏡だけはあるようだが、カーテンではなく、
絵が飾られ隠されている。
他に違っていることといえば、卓袱台の下に敷物が敷いてあることぐらいか。
(もう、お稽古に使っていないんだ)
その人が奥からお茶を運んできて卓袱台に置いた。
「今日のお着物は紗・・紗合わせでしたっけ」
「はい。覚えていてくださったんですね。もうそういう時期ですから、着てみました」
「今日のは、前のとは違うのかな。あ、たくさん持ってるでしょうから」
「そんなことないですけど、あれはちょっと・・」
「それも綺麗だね」
「着物だけ?うふ、ありがとう」
ずっと離れていたはずなのに、もしかすると、もう会えなくなっていたかもしれないのに、どうしてこうも普通なんだろう。
自然というのか、昨日も会ったかのように親近感が戻る。
このまま、あの時の感情のまま、その人をこの腕に抱きしめたのなら、あの日に戻る
だろうか?
「どうぞ、お茶」
「どうも。うーん冷たくてうまい。和菓子を買って・・。あ、すみません。
つい調子に乗ってあの頃みたいに・・」
「いえ・・」
その人との間にしっとりと重く張り詰めた空気を感じた。
冷茶を飲み干し、器を卓袱台に置く。