紗の心
私はおでこに軽くキスをすると天井に視線を移した。
「あの、シャワーしてきていい?」
私は、ただ頷いた。
その人が、シャワーを使っている間、私は、少し目を瞑った。
眠たいわけではない。
考え事をしているわけでもないが、回りの何も見たくなかった。
シャワーを終えて戻って来たその人の気配に目を開けた。
「佐伯さんも浴びますか?」
首を横に振った。
「はい」
タオルを体に巻いたその人はベッドの端に腰を掛けた。
「今日のこと、たぶん忘れません。これから誰と出会っても。その人のこと好きに
なっても」
「もう、紗希さんを抱かない」
その人は何も言葉を返さなかった。
「それでもいいですか?」
「なんと答えるのが、いいのでしょう。今はわかりません」
「そうですね」
「でも、ここで宣言されてしまうのは、正直なところ嫌です。それとも今抱いて、
そう思われたのなら仕方ないけど、やっぱり今は嫌」
「ごめん、そんなんじゃないよ」
「一度だけ。好きって言って」
首を横に振る私にその人はうな垂れた。
「紗希、その言葉が欲しいの?今ひとつになれたでしょ」
「それでわかるの?」
「それじゃ駄目なの?」
「あーあ、難しい課題ですね。でも頑張ってみます」
私とその人はどちらからともなく唇を寄せた。
悲しいくらいに素敵なキスだった。
着替えて私たちは、部屋を出た。
車を走らせた。
目的地のない走行の間、手を握り合った。
「じゃあ、またね」
「はい。また」
その人を家の前に降ろすとバックのまま引き返した。
遠ざかるその人を、時々見返しながら離れる距離が寂しさの大きさに重なった。