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紗の心

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その後、その人は、私にその浴衣を着付けてくれた。
金魚の尾びれのようなひらひらの兵児帯ではなく、角帯を結んだ。
家具のガラスに写ったその姿に自分自身見惚れた。
(なかなかいいじゃないか)そのガラスにその人の笑顔も写った。
「良かった。気に入っていただけて」私は、少々照れくさくなった。
その人も浴衣を着た。慣れた手つきで帯まで結び終わるのをただ見ていた。
「一枚だけ、携帯のカメラで写してもいいですか?お顔が写るのが駄目なら後ろ姿でも
いいから」
結局、私の前と後ろ姿の2枚写した。やや横を向いた顔も写り込んだ。
お茶を飲んだり、小腹がすいた頃には、冷やしそうめんを食べたりしながらその人との
時間を過ごした。
着物の話をしたり、私の仕事の話も聞いてくれた。
その人の仕事の話も聞いた。
力仕事もある様子でたくましくなった腕と日焼けで着物が似合うかしらと笑った。
時間が過ぎる。本当に早く過ぎてしまった。
「少しはこの浴衣、佐伯さんに馴染んだかしら。きっと今年はおしまいね」
その人は、自らその時間を切るように立ち上がると、たたんだ私の脱いだ洋服を
ソファーへと置いた。
「はい」
私は、着替えた。もう一度、その人をただ抱きしめた。
その人は、何も言わず、仕度を終え、玄関で靴を履く私の傍に、近すぎず、遠すぎず
立っていた。
「じゃあね」
その人は、微笑んだ。
「いってらっしゃい」
私は、玄関を出て、あの駐車スペースへ向かった。
木々の陰りの中、車に乗った。
まだ、暑い夕暮れだったが、ウインドウを開けて走ると、その風は心地よかった。

今夜は、妻は実家にお泊りだ。
私は、帰り道コンビニで缶ビールとつまみを買って家に戻った。
(しまった。楠木さんからの連絡を忘れていた)
[近々で会う時間を作ってください]
(何を話すと言うんだろう。面倒だ。電話するか)
私は、電話をかけた。なかなか出ない。
(診察の時間だったか?)
電話を切った途端に電話が鳴った。
「佐伯さんですか?すまない。メールをさせてもらったよ」
「はい。何でしたでしょうか?」
「まあ、そんなに固い口調で話さなくても。先日の失礼も含めてあの店で食事でも
どうかと」
「はあ」
私には、対して話したいことなどなかったが、何かあの人の話が聞けたらいいかと
承諾した。
急な予定になったが、妻の留守の明日会うことにした。

作品名:紗の心 作家名:甜茶