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紗の心

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その人は、お茶の器を両手で包むように触りながら、言葉を続けた。
「あの方、あの方に治療していただきました。あの方、本当はお医者様なんです」
私は、知らない振りをして話を聞いた。
「だって紗希さんのお兄さんの知り合いで社長さんとか。紗希さんは嘘をつかれていたという事ですか?」
「佐伯さんが、怒ってくれて・・クスッ。ありがとう。でも本当は、私、分かっていました。だって兄の担当医ですもの。ベッドに書かれていた名前と治療の時の先生の名札の
名前が違っていたし、何度か、兄の病室から出ていらっしゃるの、お見かけしたし。
きっと何かご事情があるんだということは感じていました。いつも厳しい顔を
していたから、きっと兄の容態はあまり良くないのかなって」
「そんなの医者としては駄目じゃないか」
「だから、お店に来てくださって、私を『妾』にしたいと言われたとき、
その訳もわかるかと承諾しました」
私は、その人の話にやや沈んだ顔つきになっていた。
「ってことで、また働かないとね。やだー、佐伯さんが落ち込んじゃ嫌ですよ。
お・し・ま・い」
「あ、お見舞いじゃないですけど、入院しているときに隣のベッドのオバサンが貰った
ものを戴いちゃって。まだいっぱいあるんです。何してる人だったんだろう。
お見舞いの人もたくさん来たし、たくさんお見舞いのものもあって配っていたくらい(笑)みんな、そんなに食べられる患者さんじゃないのに困りますよね」
その人は、よく笑った。
「紗希さん、笑って痛くないの?」
「切っていないから、大丈夫。内科的治療っていうんですって、いわゆる「盲腸をちらす」って治療。だから傷もないのよ。静かにして、薬飲んでいただけ。
『食べすぎたんだろう』って言われちゃった。あ、和菓子じゃないですよ。
それにそんなに大食いしてませんから。少し疲れたのかな・・」
「一生懸命、働き過ぎたんだね」
私は、その人の頭を撫でた。その人が私にしな垂れかかるように抱き寄せた。
「キスはしてもいい?」
その人は、私に視線を上げ、目を閉じた。
私は、ゆっくり唇を重ねた。
柔らかな唇の感触が伝わる。ただ重ねるだけの口づけは気持ちが行き交う接点になって
いるようだ。

その人の髪からかんざしが床に落ちた。

作品名:紗の心 作家名:甜茶