紗の心
妻が実家へ行くという日に私は、その人に会うことにした。
和菓子屋で3つ買った。
ふたりでひとつずつ。そしてその人がひとりでお茶を愉しむためにと思った。
あの駐車スペースに車を停めてインターフォンを押した。
すでに門扉は開いていた。玄関のドアが開けられた。
迎えに出てきたその人は、またきれいな着物を着ていた。
「こんにちは」
ドアを閉め、その人を引き寄せ、抱きしめた。
その人は、私の後ろに手を伸ばし、ドアにロックを掛けた。
私を見上げたその唇に口づけた。
「こんにちは」
自由になったその人の口がそう言った。
「はい。これ」
私は和菓子の包みを渡した。
私を部屋に通してくれた。
「暑いでしょ。今、冷えたお茶お持ちしますね」
その人は奥へと入って行ったがすぐに戻って来た。
すでに冷えたお茶は用意されていたようだ。
包みを開けると微笑んだ。
「お持たせですけど、うふふ美味しそう。食べていいかな。佐伯さんはどれ?」
「じゃあこれを」
指差した菓子を器に入れて私の前に置いた。
「夏のものをと聞いたら、これがいいですよと言われたので」
「水菓子が多くなりますね。でも私好きですよ。じゃあ私はこれを戴きます」
私がソレを切り分けひとかけ口に入れた。
「美味しいですか?」
「ええ」
「私にも少し・・」
思わず身をひいてしまった。
その人は、私の口に入った菓子を口移しで食べたのだ。
「紗希さん・・」
「美味しいですね」
妻とは成人した子がいるほどの年月をともにしてきたが、こんな経験は覚えがない。
おそらく、初めての出来事にまちがいない。
食べたときに中の餡が口元についたらしく、指先で拭うとその指を舐めた。
なんとなくもう一度味わいたくなった私は、その人の菓子を少しその人の口元へと
差し出した。
意味を理解したのか、その人はそれを口に含むと私が食べるのを待った。
私は、口移しでそれを食べた。
菓子がなくなった後もそのまま唇を重ねた。
卓袱台に置かれたお茶のグラスの表面に流れるほど水滴がついていた。