紗の心
「今日はお着物なんですね。よくはわかりませんが綺麗です」
「ありがとうございます」
「私が、初めて貴女をお見かけしたとき、着物だった。日傘差して」
「お寺まで上がったときですか?」
「いえそれよりも前です。見失いましたけど」
「じゃああの時は?」
「正直に告白するなら、その人にもう一度会わないかなってこの辺りに来たんです。
あ、もちろん仕事のついでにですよ。そうしたら運よく会えました」
その人は、小さくはない目を見開いて驚きの表情を浮かべたものの、
その瞳が優しく変わった気がして安堵した。
「そうだったんですか。言い方違えば危険ですね」
「ストーカーですか」
その人は微笑み頷いた。
「今日はまた見慣れない着物ですね。あ、すみません。詳しくないものですから」
「でも着物の話なんて興味持たれないでょ」
確かに興味も関心もなかった。
だが目の前にいるその人が動くたび きらめく布地は不思議に見えた。
妻が着るものとは、少し違う。
「紗希さんの話続けて」
「この時期にしか着ない着物。衣更えの頃からつかの間くらいかしら。
『紗合わせ』っていいます。この表側に使ってある布が紗。
裏側の薄衣(うすぎぬ)に描かれた柄を表の布を通して愉しむような着物なんですよ」
その人はたぶん好きなんだろう。とても優しげな表情で話す。
わからないし興味もたぶん持たないかもしれない私は、ただ時々頷くだけだったが、
その人を見てるだけで良かった。
「紗本来は、盛夏に着るものなんですけど、今の時期の夏織物に重ね合わせることに
よって少し涼しげに感じたり、見え隠れするようなところや、はっきり見せないところに風情があっていいでしょ」
「中が見えそうで見えないって感じですか?」
「『紗を掛ける』っていうでしょ」
私は何かの雑誌の記事で写真家が撮影の話を語っている中にその言葉を見た気がした。
本当におぼろげな記憶だ。
「私、この着物が好きなんです。ほんのつかの間っていうのも風情があるでしょ。
だから会いたかった。見せたかったの、誰かに」
「誰かに・・ですか?」
つい、強く反応してしまった。
言葉をしまいきれず、もうひと言言ってしまった。
「貴女の『あの方』に見てもらえばいいんじゃないのかな」
「あ・・。ごめんなさい。佐伯さんに会いたかったのは本当の気持ちです。
コレを着て佐伯さんと過ごしたかった」
私は、少し大人げなかったが、やはり気持ちが荒立った。
「私と外を歩けますか?」
「ええ」
「じゃあ、えっとあのお寺まで行きましょう。今から」
私は、よほど、じっと座っていたらしく足の痺れを感じ、すぐには立ち上がれなかった。
その人は、そんな私の横で待っていた。