紗の心
5分ほどで戻ってきた。
「お待たせしました。湯を沸かしてたものですから。お持たせで申し訳ありませんが
どうぞ」
その人は、小皿と黒文字(太目の高級楊枝)、そして急須に湯を注ぎ、二つの湯呑みに茶を
注ぎ入れた。
中の和菓子が見える透明の蓋を取る。
「綺麗。美味しそうですね。季節の和菓子」
「喜んでいただけて良かった」
私はやっとここに座ることに和んだ。
「佐伯さんはどれがいいかしら?紫陽花、若鮎、清流かな、枇杷に撫子?
これは露って感じ」
「紗希さんが選んでください」
私が名を呼んだことに一瞬私を見つめたが、すぐに優しく変わった。
「この若鮎は薯蕷(じょうよう)饅頭ですから、たぶん口慣れているかもしれませんが、
佐伯さんはこれかな」
その人は、小皿にひとつ取ると私の前に置いた。
「清流ですか」
「はい。あ、でも、お好みがあれば取り替えてください」
「これがいいです」
「では、私は?佐伯さんが選んでください」
「紗希さんは、この赤っぽい花の」
「撫子ですね。そうします」自分の皿にのせた。
「いただきます」
「どうして撫子?秋の七草なのに。撫子か・・そんな感じなのかな・・」
ひと口ふた口その人は菓子を食べた。
私は、ひと口で食べ終えそうなところを半分にしてふた口で食べた。
「・・撫子ってね。添えの花なんですよ。綺麗に咲いても主役に真ん中には活けて
もらえない。慎ましやかっていえばそうなんですけど。殿方は大和撫子が好きなのかな」
私には、その人が何を言いたいのか理解できなかった。
「ごめんなさい。なんだか変な空気にしてしまいましたね。あの良ければ、もうひとつ
食べてくれませんか?」
「でも誰か」
その言葉を言い終わらないうちにその人は言った。
「太っちゃいます。私一人でこんなに食べたら」
「おひとりなんですか?」
私は、聞いてはいけないことと思いつつ、聞きたかったことだった。
勢いで言葉にしてしまった。
その人は、楊枝を茶に浸した。
「そういえば、この楊枝濡れてましたね」
私は、話題を変えようと、ふと気になったことを口にした。
「そう、黒文字にお菓子がくっつかないように。和菓子ってねりきりや羽二重といった
くっ付きそうなものが多いですから。それにこれ『黒文字』っていう木なんですよ。
湿らせると香りが出るんです」
「そうなんですか」
(この話だけでは、間が持たなかったか)
少し俯き加減のその人は、まだ残っている皿に楊枝を置いた。
付け添えてあった箸で私の皿に若鮎という菓子をのせてくれた。
「手で大丈夫ですよ」
「そりゃ、楽ですね。ははは」
その人も微笑んだ。