色即是空
塀の中では、ミーコを呼ぶ女の声がしている。この声にマヤは聞き耳をそばだてた。マヤはその声の主を知っているのか警戒の姿勢をとる。以前、マヤがこの家にはいって、ミーコと戯れていたとき、マヤの首をつかんで振り回し、庭の灯篭に投げつけたのが、奥さんだった。そのとき、マヤは立てなくなって転げまわった。奥さんはさらに四肢をつかんでボールのように、マヤを塀の外にほり投げたのである。このことは後日、奥さんが真理子に話したのでわかった。マヤの不審な行動はこの事件があってから始まったのである。奥さんの懸念は、ミーコがマヤの子を孕むことであった。
「ミーコは純血のペルシャ猫なの、失礼だけど、お宅のマヤとは違うのよ、子ができたら大変でしょう」
この奥さんの言葉にムカッと来た真理子だったが、そのときは、
「すみませんね、マヤがミーコちゃんに近寄らないようにします」と、真理子は引き下がった。
真理子はマヤの事件から自分を立ち直すのに時間を要した。一人住まいだということもあって、誰に相談するでもなく、すべてのことを自分の中にしまっているから、事件の消化に手間取るのである。大抵の人は、他人に話すことによって、自分の心の負担を他人に移してしまう。自分の悩みを聞いてもらったことで、自分の気持が楽になる。
真理子の場合、このためには、隣近所とのお付き合いとか、友人とのおしゃべりの機会があれば、他人の空間の中に自分も入ることができるのだが、真理子はその空間をつくろうとしない。自分の殻に閉じこもって仕事をしている真理子にとって、他人との付き合いは厄介なのだ。それではまったく一人でいるのかというと、そうではない。猫が真理子の生活空間の中に置かれている。猫との付き合いによって真理子の心は癒されていたのである。
雨の降る日が続いて憂鬱な気分の真理子は、作品を書き上げるのもあきらめて、三毛猫のカーヤと戯れていた。マヤが居なくなって日月が相当経っている。戻ってこないだろうとあきらめていた真理子は、その理由をあれこれと考えながら自分を反省していた。
―わたしは、父への思いから自分を解放できなくて、暗い日々を過ごしてきた。猫を唯一の友にしてきたのは、自分の思いを知ってくれると信じてきたからだ。その猫に裏切られたではないか―
心の置き所を求めて真理子は、何故猫を選んだのだろうか。その疑問を解き明かすものは、母の作品『春の宵』にあったようである。
母の菜穂子は、作品のなかで、メスの飼い猫が春の宵にオスを待つ姿を題材にしていたが、メスとオスが鳴きあう春の宵の怪しい雰囲気が、まだおさなかった真理子の心に強烈な印象を残していて、現在でもなぞめいたものになっている。
メス猫がオスを篭絡するようにもてあそび、ときには邪険に引き離し、寄り付かないように真っ赤な口を開けて唸る。それでもオスは必死になって寄り付こうとする。この恋のゲームの主導権は完全にメスにあった。
オス猫は、拒否されると以前よりも激しく寄り付いてくる。メス猫が、ゲームをするように走りまわると、そのあとをオスが懸命に追いかける。メスはつかまりそうになると、跳躍し、反転して方向を変えるのである。それは求愛の遊戯にしては残酷なものであった。メス猫は徹底的にオスを翻弄している。オスの心を読み切ったように、優越的に振舞っているとしかみえなかった。その時の勝ち誇ったようなメス猫の表情が、哄笑のなかに示されている。このような戯れが、春の宵に繰り返され、オス猫は幾度も通ってきた。
小説『春の宵』における猫の描写に真理子は母の男性観を見る思いがした。
―メス猫は結局、オス猫を追っ払った。だがそのときはすでに孕んでいた―
真理子は、そう想像したが、小説には書かれていない。真実はどうなのだろうか、それを小説のなかから探り出そうと、真理子は一字一句にいたるまで注意深く読んだ。
―母はこの小説のなかに自分を投影していないだろうか、自分の情念や信条を持ち込んでいないだろうか、猫の行動を客観的に描写することが目的であったとは思われない。この小説のなかには母がいる。そう見て間違いない―
このように思った真理子は、文章の中から母を抽出する作業を始める。メス猫の駆け引きが気になる真理子は、描写の中から、邪険と愛撫の交叉に対するオス猫の反応に注目した。
―メス猫は確かにオスが好きなのだが、征服欲のほうが勝っている。オスを支配することがこのメスに快楽感を与えているのだ―
母の描いた猫の生態を凝視する真理子は、その中に母を発見する気分に襲われていた。
―オスが哀れに思える。どうしてこのメスから離れないのだろうか、いじめられていることが嬉しいとでも感じているのだろうか―
真理子はオスに疑問を感じている。
―もし、このメスが母であったとすれば、オスの消えた理由が知りたい―
その理由は書かれていないので想像するしかない。真理子は執拗に母を捜してページをめくる。
―母の本性はどこに隠れているのか―
メス猫の傲慢な仕打ちは、オスの求愛を邪険にしりぞけながら、オスがあきらめるようにひるんだときに、タックルを仕掛ける行動に現われていた。
―じらすばかりで許そうとしないのだわ。それでもついてくるオスを見越しているのだから、相当の自信がある―
読みふける真理子は、メスの行動から目が離せない。
―いつどこでオスを突き放すのだろうか―
意地悪な目つきになっている真理子は、その中に母を見透かそうとしていた。
この猫たちの行動の圧巻は、メス猫が子を孕んだ場面の描写である。組んではほぐれ、ほぐれては組むうちに、主導権がメスからオスに移る。このときばかりはメスは素直である。
懐妊すると、メス猫の傍にオスが付き添って、あたりを警戒するように目を輝かし、何者も寄せ付けまいとしたり、餌をあさってきて分け与えたり、メス猫に対するオスの愛情が細やかになる。いじめられたり、じらされたりしたことをオスは忘れたように、メスにつくしているのである。
―これって、動物の本能なのだわ。種の保存のために神様が与えた普遍の生態なのだから―
真理子は納得している。だが、子を育てる態様は動物によってさまざまなのだと、真理子は思った。
―人間ほど長い時間を子育てにかける動物はほかにいないよね。自然に生きるだけではなくて社会に生きなければならないからよ。自然の動物には血族のつながりが連綿とあるわけではないが、人間はそのつながりを連綿と受け継いでいる。家系という名によってね。それだから、父系と母系がはっきりしないと、生存の証明を失うわけよ。だのに、わたしったら、父系が不明なのだ。あの母親のために、わたしは、半孤児にされている。女は男と情を交わして子を産むだけではいけないのよ。子には父親を明らかにする責任がある。未婚の母でもシングル・マザーでも、自分はいいかもしれないが、子供の知る権利を侵してはいけないわ―
真理子は、自分の境涯に不満をぶちつけている。真理子の父親探しはML上で、「小説『春の宵』のオス捜し」のタイトルではじまった。