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色即是空

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 真理子は、押入れの前で立ちすくんだ。なかに収めてある寝具や衣類のことが気になる。猫はその中に隠れてしまっているだろうから追い出すのは大変である。真理子はいらだってきた。襖障子をはずしてたたき出してやろう。そうしなくちゃあ今夜寝られない。真理子の思案は思わぬ方向に走っている。その顔はいつもの真理子には見られない緊張で引きつっていた。それが恐怖の強さを示している。リビング、キッチン、ダイニング、ベッドルーム、書斎兼仕事場、客間を次々にチェックした真理子は、どこにもマヤが見つからないので、いらつきだしていた。真理子の不安は募る。リビングに戻ってきた真理子は、畳の上にすわりこんでしまった。猫の泣き声が押入れの中から聞こえる。
 しばらく休んでいた真理子は、日の暮れないうちに猫を追い出そうと決心した。真理子が襖障子を取り外しにかかると、猫がさわぎだした。真理子は顔をやられないように、単車用のヘルメットと顔の蓋いを着用し、手にはグローブをはめている。真理子の目と親猫の目が会った。その途端に父親猫が飛び掛ってくる。真理子はその攻撃をグローブでうけた。真理子はすばやく布団を引きずり出して畳の上に投げつけた。そのなかにいた子猫と母親猫が転がり落ちる。
 兄姉の猫は押入れの上段と下段に分かれていて、真理子の様子をうかがっていた。真理子が布団を払っていると、兄猫が顔をめがけて跳躍し、姉猫は足に食いついて来る。真理子は急襲に遭って転倒した。腰の痛みが激しくなる。そのとき、親猫二匹が体に食いついて来た。その恐ろしさに悲鳴をあげた真理子は、血の気が引いて、顔面蒼白になり、動けなくなった。
 真理子が倒れたのを見届けた猫たちは、いっせいに駆け出して書斎にはいった。真理子がドアをしめわすれていたのである。猫たちは、真理子が机の上に置いていた書きかけの原稿、画架の絵など、手当たり次第に荒らしている。勝ち誇ったような騒ぎかただった。押入れに逃げ込んだときのような警戒心を捨ててしまった猫たちは、この部屋をわが家にするつもりのようだ。日当たりはいいし、外の景色もいい。出窓のフロアに座り込んだ猫たちは、自分たちの荒らした部屋を見下ろしている。父猫のイエローの眼が輝いている。母猫はそのそばに座り込んで眠そうにしている。子猫は背を向けて外を眺めていた。
 午後の日差しが柔らかに差し込んでいるこの部屋は、真理子が一番大切にしている空間で、何者にも犯してもらいたくないのである。それが、無残にも山猫の住処にされようとしている。真理子が意識を取り戻してこの部屋に来たのは、猫との格闘から一時間ほどたってからである。猫の鳴き声や騒ぐ音がする方角が、書斎だと気づいて、真理子は恐ろしさで身体が震え恐怖が先に立って足がすくんだ。日の暮れるまでに追い出さなくちゃあと意気込んでいた勇気が失せている。
 真理子の脳裏にカーヤが戻ってきた。三毛猫のカーヤは敏捷で頭脳もいい。マヤに連れ去られたとは思えないと、真理子はカーヤの行動に期待をかけている。
―マヤは花崎さんちのミーコと恋仲だから、マヤはミーコの処に行ったのかもしれない―
 真理子の思案が頭をめぐる。第一ラウンドの押入れ攻防戦で真理子は不覚にも負けた。その気後れから立ち直れないで、真理子は、第二ラウンドの書斎攻防戦をためらっている。
 マヤはこのとき、庭の隅に姿を潜めるように隠れて、山猫たちの跳梁を静かにながめていた。真理子の愛したマヤが、どうしてこのような行動をとるようになったのか、その原因は、花崎家のマヤに対するひどい仕打ちにあったことが、後日明らかになったのであるが、この時点では判らなかった。山猫の来襲は、マヤの人間に対する復讐であったが、それを知らない真理子は、マヤに助けをもとめたい気持で、マヤを再び探そうとした。真理子はすがるような思いで、マヤを呼び続けている。恐怖で心は乱れているから、真理子にはなすべきことの判断が正確にはできなかった。その間も、書斎は山猫に占拠されたままである。このまま時間がたてば、夜になってしまい、ますます手の付け様がなくなるのであるが、真理子は書斎に近づけないでいる。
 夕陽が赤く浮き出し、空は茜の色に染まって来る。真理子は、不安を振り切るように立ち上がって、書斎に向かおうとした。そのとき、聞きなれたカーヤの鳴き声が、ダイニングから聞こえたのである。耳を疑うように、真理子は声のする方角を見る。姿はみえないが、まがうことのないカーヤの鳴き声であった。真理子は、自分からダイニングへ行けばいいのだが、その余裕がなかった。山の猫が、カーヤの声を聞きつけて飛び出してくるのではないかと、真理子は、書斎の動きを警戒する。そのとき、兄姉猫がそろって書斎から、姿勢を低めて、抜き足で出てきた。
 真理子は、自分でも不思議なぐらい、とっさに、兄姉猫に襲い掛かるように走った。二匹の猫は、この襲撃に不意を突かれた格好で飛び跳ねると、ダイニングを目指して走った。そのとき、カーヤが電光のような速さで、二匹の猫の背を飛び越えて書斎に入る。
 真理子は、カーヤの勢いに誘われたように、自分も書斎にむかう。すると、カーヤは親猫を直撃していた。不意を突かれた親猫二匹は、あわてて書斎から逃げ出して来る。真理子にとって予想外の展開だった。カーヤは残された子猫を口に咥え、書斎から走り出てくる。真理子はこの光景に驚いていた。山猫たちは四匹とも庭を目指して退散した。カーヤは子猫を、その後ろに口から投げ捨てる。この様子をみていたマヤは、山猫たちのあとを追わずに、カーヤにとびかかった。マヤの突然の出現に驚いた真理子は、
「マヤ、マヤじゃないの」と、大声を上げた。
 マヤはそれに反応しないで、カーヤと取っ組んでいる。その姿はすでに野性化していて、飼い猫のときの可愛さはない。恐ろしいほどの迫力を持っていた。さすがのカーヤも負け気味である。どちらが食いついているのか、真理子にはわからなかったが、うなり声や悲鳴が混じって物凄い状景だった。真理子が二匹の引き離しをためらっているとき、カーヤが部屋に駆けあがる。そのあとを、マヤが追っているとばかり思った真理子は、マヤの行動に驚いた。マヤは背をひるがえして、垣根を越えている。この別れかたの意味が真理子には呑み込めなかった。真理子がいぶかっているとき、マヤが向かっていたのはミーコの居る花崎家だった。
 花崎家の庭は高い塀で囲まれている。マヤはその下に来ると、大きな声で鳴いた。二度、三度、マヤは鳴き続けている。ミーコが鳴き返してくるのを待っているようだった。マヤは、何故一挙に塀の上にのぼらないのか。マヤの力では簡単にのぼれるはずである。
作品名:色即是空 作家名:佐武寛