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色即是空

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 真理子の青春に暗い影を落としてしまったこの思いから、真理子は解放されないままに、時を過ごしてきた。
―母にも、もしかしたら、わたしのお父さんはわからないのかも知れない―
 真理子の疑いは母に向けられる。
―母の文壇での派手な交友を幼い頃から見て育ったから、この疑念にも真実味がないとはいえないのだ―
 真理子は母に対する疑念が、無制限に拡大するのを内心では恐れてもいたが、押さえ切れなくて、憤りに発展することもあった。憂鬱な日々を過ごしていると、真理子はそれを払いのけたくなって、大胆な行動に出たくなるときがある。 その衝動を抑えているのが飼い猫のマヤとの戯れであった。
         
 ある春の日に、子猫のマヤがいたずらを始めて、庭の花の根元をかきちらしている動きが楽しい。真理子は自分まで何かやりたくなる。真理子は、竹箒を手に持って、追っ払おうとする。それが真剣なようで真剣でない。マヤと戯れているようにしか見えない。マヤは前爪で土を掻いている。時々、首を横に振って、顔に飛び散った土を払っているのがかわいい。
 土のなかから花の芽が顔を出ている。マヤの前足の動きが早くなった。そして、鼻先を芽に近づけている。真理子は、ハラハラしていた。その時、さらに真理子を驚かしたのは、野鼠が入り込んできたことだった。マヤは子猫といっても、猫の習性を生まれながらに身に着けている。鼠のにおいをとっさに嗅ぎつけて、飛び掛って敏捷に鼠を捕らえていた。しかし、鼠は、体をくねらせてマヤから逃げた。そのすばやさにマヤは追いつけなかったのである。残念そうな顔をして立ち止まったマヤを真理子は抱き上げてやった。真理子はマヤの頭をなでながら、慰めてやった。鼠の侵入のおかげで、花の芽は無事だったから、鼠にお礼を言わねばならない。しかも鼠が無事に逃げてくれたのはありがたかった。もしも、食い殺されていたら、後片付けが大変だし、気持が悪くなっていただろう。この程度の戯れが春にはふさわしいと、真理子はほっとしていた。
 真理子の手から逃げたマヤは、すばやく庭を走り抜けて座敷にあがった。真理子が声をかけたときには、マヤは仏壇に手をかけていた。そこに小魚が供えてある。死ん祖母の好きなものだった。マヤはそれを知っていた。
「とったら、おばあちゃんに叱られるよ」
 マヤは、今にも口にくわえようとしていたが、その声に驚いて振り向くと、あわてて逃げた。だが、すぐに、金魚鉢に近寄って、ゆすりだしていた。金魚が驚いて浮き上がってくると、掴み取ろうとして手を入れている。真理子が制止しようとすると、畳の上を跳び走って、箪笥の上に駆け上がった。狙いはわかっている。マヤは、人形ケースを覗き込んでいる。真理子がマヤの好きなフードを手のひらに置いて見せた。マヤはそれを箪笥の上から見下ろすと、甘えるように、一声鳴いて、跳び降りてきた。
          
 真理子の前からマヤが姿を消した。またいつものようにご近所の仲間と遊んでいるのだと思っていたが、マヤは三日たっても帰ってこなかったので、真理子は心配になってきた。ご近所の奥さんである花崎さんに尋ねると、
「うちのミーコと遊んでいたが、途中から見えなくなった。多分、おうちに帰ったのだろうと思っていたの」
ということだった。
「ミーコちゃんは、ずっとお宅に居るの?」
 真理子は、尋ね返した。
「ミーコはずっと居ますよ。マヤちゃんが来ないのでさびしそうにしていますけど」
「ほんと!」
 真理子は、マヤがミーコと仲良しだとは前々から知っていたが、マヤが居ないのでミーコがさびしそうだと聞かされて、ちょっぴりびっくりした。
「手毬を転がしているのよ。そして、ときどき、首を伸ばして、寂しそうに長鳴きするの、マヤちゃんを呼んでいるのでしょうね」
 花崎さんのこの言葉で、真理子はマヤとミーコは恋仲だと気づいた。なのに、マヤはどうしていなくなったのだろう。
 マヤが、野生猫のような風貌で、山猫たちを引き連れて帰ってきたのは、失踪してから半年後だった。夏の終わりのある日、真理子が新しく飼った三毛猫のカーヤを膝に乗せて遊んでいたとき、庭木のなかからマヤが現れた。「ニャーア」という鳴き声で、真理子が驚いて、外を見るとマヤが帰っていた。真理子は懐かしさがこみ上げたようだった。しかし、マヤは近寄ってこない。警戒しているように目を光らせている。マヤのそばに、三匹、庭木の上に二匹、山猫がいた。その猫たちは黒毛だった。そのうちの二匹は親猫で子猫と一緒にマヤのそばにいたが、木の上の二匹は兄と姉のようだった。
 真理子の三毛猫カーヤが警戒したように背を丸くして持ち上げている。真理子も怖くなって、ガラス戸を締めに立ち上がった。そのとき、マヤがすごい勢いで部屋をめがけて飛び込んできたのである。真理子はそれを見て一瞬ためらった。ほかの山猫が、その隙に、いっせいに駆け込んできたのである。真理子は、「あつ」と声を上げた。「マヤ、マヤ」と叫んだときには、真理子はマヤに直撃されていた。真理子はその勢いで転倒する。
 真理子は倒れたときに腰をうってすぐには立ち上がれなかった。その隙を見定めたように、猫たちは箪笥や書棚にかけあがったり、押入れの戸に手をかけたりして、部屋の中を我が物顔に跳躍している。痛みをこらえて立ち上がった真理子は、猫の鳴き声で騒然としている部屋の中に目をやって、「カーヤ、カーヤどこにいるの」と、血眼になった。部屋を眺め回してもカーヤの姿はない。マヤはどこだろうと見直したが、マヤもいなかった。
 真理子の不安が募る。山猫は、真理子を恐れないで騒ぎ続けているのだ。忌々しいと真理子は、部屋の隅に立てかけてあった掛け軸用の棒で、畳の上にいた兄姉らしい猫をはらいのけようとした。すると、兄猫らしいのが、口を大きく開けてうなり声をあげて飛び掛ってくる。真理子は、とっさに激しく兄猫を打った。そのとき、様子を見ていた姉猫らしいのが音も立てずに真理子の足元に駆け込んでくる。真理子は、不意をつかれた格好でよろけた。腰の痛みがピリッと走る。そのとき横を向くと、父親らしい猫が押し入れの襖障子を両手であけていた。「まあ!」と、真理子が驚きの声を挙げたとき、開いた隙間から子猫がするりと押入れの中に入る。すると、真理子に立ち向かっていた二匹の猫が、押入れに向かってまっすぐに突っ走った。この二匹が押入れに入るのを見届けると、母親猫が真理子を警戒するように見据えている。真理子はぞっとした。父親猫は押入れのそばで、襲い掛かるような姿勢をとっていたが、真理子がたじろいでいるのを見ると、くるりと姿勢を返し、母親猫をうながして、その後から押入れの中に入る。
作品名:色即是空 作家名:佐武寛