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色即是空

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「あの人がわたしの家に入り込んでいるの、三日経つのだけど出てゆかないのよ。哲,来てくれない。あなたが、あの人のことを調査するように依頼した探偵社に、あの人の懇意な社員が居て、調査の秘密を漏らしたらしいの。それで、あの人は、わたしの居所を知ったらしいのよ」
 哲はまさかと思ったがほっても置けないので、どうすべきかを真理子と菜穂子に相談することにした。
 哲から仔細を聞いた二人はため息をついた。
「隆子さんと哲をこの家に移ってもらうことがむつかしくなったわね、しばらく様子を見ましょうよ。隆子さんの離婚が正式に成立するまで待つのがいいでしょう」
 真理子は哲がどう動いてくれるか心配であるが、この場合、哲に頼むしかないと思っている。そのとき、菜穂子が意外なことを言った。
「真理子、あなたが椎名と隆子さんに会って、家裁の調停に持ち込みなさい。椎名はあなたには負い目があります。隆子さんも同じです。あなたは二人の不倫の子として生まれたのですから、二人を責める権利があるのです。二人を離婚させることが、あなたにとっては復讐になりますよ。あなたがシングルで生きたいと思うことになった根っこを断ち切るのです」
 真理子も哲も、想像もしていなかった言葉に驚いて菜穂子を見詰めた。この言葉は、真理子に過去を清算させることを願ったものだと、真理子は受け止めた。真理子にとって、過去の清算がこのようなかたちで現われてくるとは思いもしなかったことで、真理子自身の責任を問われている圧力を感じる。
 菜穂子の描いた道を、それとは識らないで、自分の選んだ生き方だと思って歩いて来た真理子は、此処に来て、思いがけない障害に立ち止まらざるを得なくなっている。椎名にはあえて触らないで来た菜穂子の誤算は、椎名が隆子に寄せる執念のような恋情が読めなかったことであろう。女遊びを繰り返す椎名に隆子が絶望したとおもっていたから、菜穂子は隆子を救ってあげたいと思ったのだが、隆子には椎名を邪険に振り切れない女の優しさが理性とは別に働いている。椎名を自分の家にとどまらせているのはその優しさのためであろうと菜穂子は思った。菜穂子から見れば、それは優柔不断なのだが、それが椎名をひきつけている。
 二人を離婚させるためには、気性の強い真理子を送るしかないと菜穂子が判断したのは、自らの誤算の穴埋めである。真理子にとっては、新しい出発ができるかどうかの瀬戸際である。これまでの人生にこのようなかたちで終止符を打つことになるとは夢にも思っていなかったので戸惑っているが、母・菜穂子に背を押されたのだからやるしかないという思いと、哲に言いつければいいではないかという気持が錯綜している。
「哲を連れてゆくよ、いいでしょう」
 真理子は切羽詰ったように言って、菜穂子の様子を窺がう。
「真理子一人で行きなさい。哲さんが一緒だと、つけこまれますよ。哲さんは、隆子さんがもう一度椎名とやり直したいといえば、その頼みを聞き入れて、椎名をこの家に連れてくるでしょう。 そうでしょう、哲さん」
 菜穂子は哲の心を見透かしているように問いかけた。その言葉に哲はたじろぎ、自分の心の深層を見抜かれたように身震いする。
「まさか」
 真理子は信じられないという顔で哲を見る。
「哲さんの境遇からすれば当然のことですよ。真理子には、わたしという母親が居たけれど、哲さんは両親の顔も知らないでさびしく育ったのよ。だから、人一倍、両親にあこがれているでしょう。そこに椎名がつけ込む隙があるのです」
 菜穂子は椎名がどういう人間か知り抜いているように言う。この言葉につられるように哲が、衝撃的なことを切り出した。
「父の女遊びの相手の一人が彩子さんであることがわかったのです」
 真理子の顔が蒼白になった。菜穂子は唖然としたように哲を見ている。
「父は、彩子さんに遊ばれていることをわかっていないのです。心配なのは、二人の間で、おばさんや真理子さん、そして僕のことについて、どのような話がされているかということです。探偵社からはそこまでは聞き出せなかったのですが、彩子さんのことですから、面白がっていろいろ喋っているのじゃないでしょうか」
 真理子と菜穂子にとってこの衝撃は強すぎる。これまでの努力のすべてが瓦解したような激震だった。
「彩子さんに会って確かめようと思ったのですが、それではかえってこちらの様子を聞きだされる心配がありましたからやめたのです」
 哲は、菜穂子に謝るように言った。真理子は黙ってそれを聞いている。
「因果なことね。椎名と彩子さんが通じ合っているなんて、真理子にはむごいことよ、親友と自分の父親が愛人関係にあるのですからね」
 菜穂子は困ったという表情で真理子に同情を寄せている。そのとき、真理子が意を決したように話し出した。
「彩子と椎名の高笑いが聞こえるよ。二人してわたしたちを馬鹿にしている。彩子も椎名も許さない。椎名は父でない、彩子は友ではない。わたしのこれまでの人生を抹殺する時が来たのよ。哲も逡巡としているのなら別れましょう。母さんが、この家を隆子さんと哲にあげるというのならそれは母さんの意思として尊重しますが、哲と隆子さんとは他人として付き合うことにします。わたしの母は、シングル・マザーの菜穂子さんだけです」
 真理子は言い終わると壮絶なほどの意志を浮かべた顔で一点を見据えていた。彩子への恨みと椎名に対する軽蔑が一挙にこみ上げてきたようだった。哲までがそのとばっちりを受けることになった。真理子の人間不信は頂点に達したようであったが、その中で、真理子は菜穂子のみを選択したのだ。それは運命のいたずらだったかもしれない。                                                  

 後編 宿命に翻弄されたあとの静かな充足
   どのような星のもとに生まれたのだろうかと思うことのあるのが人生である。自分の予期しない方向に運ばれていたものが実は生来約束されていた人生であったということもある。人間の自己形成にはさまざまな要因があるが中でも解らないものは「宿命」であろう。主人公・椎名春彦は二歳にして両親と死に別れ、母の妹・奈美とその夫・玄の養子となるが、玄の死後、奈美が彦太郎と再婚し、婚礼を挙げるはずであった隆子を残して出奔する。隆子もまた春彦のもとに走った。それ以後の春彦と隆子の人生は宿命に翻弄されたとしか言いようのないものであった。長い苦悩の末、祖霊の導きであったかのように、春彦と隆子と実子・哲は一つの家庭に収まり静かな充足を得る。
  
          一  
 椎名はジャーナリズムの世界でめしを食いながらフリーの生活をエンジョイする自由人を自負している。この男をめぐっては女出入りが激しいという噂が立っても本人は気にしない。むしろそれを逆手に取っている。
「俺にとって女は置石のようなものだ。この世を渡るためには不可欠の存在で俺の足を支えてくれる。置石を踏むたびに俺は確かな感覚を覚えるのだ」
作品名:色即是空 作家名:佐武寛