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色即是空

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 哲は自分の身の上に合わせているような話し振りだった。菜穂子にとっては自分の身勝手を責められているようでもある。そのとき、真理子がやって来た。
「植木屋さんに庭の手入れを頼んだら、明日来てくれるって。菜園の手入れは哲に任せるよ、わたしは花壇をアレンジするからね」
 いつもの調子の真理子が復活している。真理子はその場の雰囲気が湿っぽかったのでわざと明るくしゃべったようだった。それには菜穂子も哲も気付いている。
「そうよね、わたしは何をしましょうか?」
 菜穂子が真理子に応えて雰囲気を変えようとした。
「母さんは自分の部屋を整理してもらえばいいよ。しばらく此処に滞在するのだから使い勝手のいいようにして頂戴」
 真理子は生き生きとしている。頬には嬉しさがこみ上げているようだった。
「哲が隆子さんと一緒に暮らす日は遠くないわね。わたしたちの長い旅が一つの区切りを迎えるのよ。隆子さんはわたしの産みの母でもあるのだし、幸福になって欲しい。哲、頼んだわね」
 哲は真理子の言葉に半ば驚きながら頷いている。そのとき、傍から菜穂子が口を開いた。
「真理子もシングル・ライフ願望を捨てたのだからその意味でも新しい出発よね」
「真理子さんがシングル願望をすてるって、ほんとうですか? あれほどあこがれていたのに、信じられませんよ」
 哲が不審な顔を真理子に向ける。哲はすでに真理子の決心を知っているのだが、駄目押しするように尋ねている。
「哲は案外しつこいのね。わたしの決心をひるがえさせようとするの?」
「真理子には普通の家庭を持つようにわたしからも説得したのですよ。女がシングルで一生を過ごすのはさびしいですからね。わたしは真理子がいたので救われたのですが、隆子さんは哲さんと真理子を産みながら一人暮らしを強いられたのですからさぞ無念だったでしょう」
「母さん、そのことは言わないことにしましょうよ。隆子さんを迎えてあげることで、母さんの気持も軽くなるでしょう。一番悪いのは椎名ですよ」
 真理子は菜穂子を慰めるように言った。
「椎名は僕の親父だけれど、シングル・マザーをあちこちに作っている無責任男です。女も十代、二十代、三十代と手あたり次第です。探偵社を使って調べました。椎名の所在もわかっています。母の隆子はそれに耐えられなくて椎名から隠れたそうです。これまで黙っていたのですが、椎名が母を発見して押しかけてくるかもしれませんので、お話しておきます」
 哲の突然の言葉に、菜穂子も真理子も声も出ないほど驚いた。菜穂子が考え込むように頭を傾ける。真理子は天井をにらんでいた。真理子は、哲が椎名の所在を知っていると言ったので、穏やかでない。まさかのことであった。
「椎名が隆子さんを追いかけて押し込んでくるというの? 哲は、どうして、そんな重大なことを隠していたのよ。隆子さんがこの家に居ることを椎名が知ったら無事ではすまないでしょう」
 真理子は当惑を通り越して不安な表情をしている。
「椎名が現われればわたしが応対しますよ。哲さんと真理子は、戸籍上は椎名とは他人ですからそのつもりで振舞ってください。隆子さんは椎名と事実上の離別ですから、厄介な問題が起きれば家裁の調停に持ち込めばいいでしょう。安心していなさい」
 菜穂子は泰然としていた。その態度には椎名を問題にしない気迫が見られる。それにしても、この段階で椎名のことを気にせねばならなくなったことは、真理子にも菜穂子にも晴天の霹靂のようであった。椎名のことを意中に置かないでことを進めてきたのは不覚である。
 菜穂子は女として同性の隆子のことを気にしていたが、離婚した夫・椎名には無視することで終わっていた。離婚後の椎名の生活については何も知ろうとしなかったし、椎名からのアプローチもまったくなかったのである。
「哲は、椎名と直接会うつもりあるの?」
 真理子はそのことが一番気がかりだった。哲が椎名と会えばどういう事態が発生するかわからない。椎名には接触しないで成り行き次第に任せるほうかいいのではないか、こちらから刺激すると椎名の手に乗ることになるかも知れないと、真理子は危惧している。
「僕は椎名と会って、母との離婚を承諾させたいと思っているのです。母もこのままでは不安定ですから決着をつけた上で、この家に来て貰います。いまの状態のままでは椎名につけ込む口実を与えることになりますから正式な離婚が先決条件だと思っているのです」
 哲の言葉に、真理子と菜穂は顔を見合わせる。
「戸籍の上では僕は椎名の子ではありませんが、父であることに代わりは無いのですし、母のことを心配しながら亡くなった祖母のことを思うと、母を幸せにすることが僕の義務だと考えているのです。僕を育ててくれた祖母に対する恩返しなのですから」
 哲の言葉によどみはなかった。真理子は哲の決断に驚きと感銘の複雑な思いである。
「哲、椎名のことを父といったわね。いつからそう思うようになったの、生まれてすぐお祖母さんに預けられたから椎名の顔も覚えてないでしょう。わたしが知っている限りでは、哲は椎名に無関心だったよ」
 哲は黙っている。
「哲さんには椎名の子としての思いが心の底にあるのですよ。それがこの機会に表面に浮上して来たのでしょう。真理子が意地になって椎名を捜していた頃から、哲さんは同じ思いを共有していたのでしょう。だから心変わりじゃないですよ」
 菜穂子が、黙っている哲に代わって代弁したようだった。
「あの頃の哲は刹那的だった。現実を受け容れているだけだったよ。わたしのような父捜しの一途な気持は無かったと思う。前田さんちの農作業の体験が哲を変えたのよ」
 真理子は自説にこだわっている。この気性は真理子に生来備わっているもので、そのためにこれまで苦労してきたのである。しかし、真理子自身はそれには気付いていない。
 真理子を変えたのは菜穂子の愛情である。母・菜穂子に対する気遣いをするようになったのは、菜穂子の隆子に対する和解と憐憫の姿勢が引き出したのであろう。それは真理子の心を揺すり、真理子が実母・隆子に無意識のうちに寄せている思慕の情を刺激し、真理子の潜在意識を目覚めさせたのである。
 真理子が隆子を母と呼ばないのは、菜穂子に対する遠慮からであることはあきらかであるが、心の底では、母と呼び続けていたのではないだろうか。菜穂子はそれを見抜いているように、真理子のために立てた家を隆子に譲ることにしたのである。そこに椎名が現われて住み着くことになるかも知れないという危惧を前にして、菜穂子の心は穏やかでない。椎名だけは許したくないという思いが強く働いている。
 
 椎名をめぐっては、哲、真理子、菜穂子は、三人三様の思いである。そのなかでは哲が椎名にもっとも同情的であるというか親しい感情を抱いている。そのことが、真理子と菜穂子には不安材料であった。この不安が的中したかのような事件が発生した。椎名が隆子の居所を突き止めて連れ戻しに来たのである。哲はこのことを隆子からの電話で知った。最初は耳を疑ったけれども、嘘ではないようだった。
作品名:色即是空 作家名:佐武寛