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色即是空

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 弓子は饒舌である。真理子も菜穂子も聞いているしかない。
「嫁に行った娘は菜穂子先生のファンだで、先生のことはよく話してくれる。先生は、シングル・マザーだとね。結婚なさったけど、ご主人の浮気がゆるせないで、離婚されて、それからお独りで真理子さんを育てなさったって、ご立派ですよ」
 弓子にほめられて菜穂子は複雑な気持だった。真理子が実子でないことを弓子は知らないのだろうか、知っていて言わないのだろうか、不安な気持に襲われたが、そのことに弓子が触れなかったので救われた。この夕餉のあと、自室に戻った真理子と菜穂子が話し合っている。それはある種のカルチャー・ショックを受けているようだった。
「亀吉さんは、哲の結婚相手を探してやるといっていたけれど、本人の気持を確かめないで押し付けがましいよ。母さんはどうおもった?」
「亀吉さんは哲さんにすっかりほれこんだのよ。嫁を世話してやるというのはその気持をストレートに表現したものね。哲さんの気持を確かめてからなんていうのは都会の人のエチッケトでしょうが、亀吉さんは開放的な田舎の空気のように何処からでも流れ込むタイプですよ。田舎ではカギを掛けないし、襖を開ければいくつもの部屋が一つの広間になるでしょう。あの雰囲気が亀吉さんの身についているのですよ」
「弓子さんもおなじなのね。わたしに結婚しろって迫っていたわ。余計なおせっかいよ」
「親切ですよ。真理子のことを思って言ってくださったのだから」
「そうかもしれないけれど、わたしの生き方に干渉してほしくないの」
「真理子は、優しくなったと思っていたけれど、相変わらず気性の強い女ね」
「母さんに育てられたからでしょう。後天的ね」
「言うわね。そのことよ。真理子の出生の秘密を哲さんが、亀吉さんや弓子さんにしゃべるかもしれない不安があるの。哲さんが自分から話すことはなくても、お二人に聞き出されるかも知れないからね」
「どうして?」
「弓子さんは、哲さんと真理子が結婚すればいい夫婦になるって、わたしに言ったことあるの。弓子さんが、哲さんにじかにそれを持ち出したら、哲さんは、僕と真理子さんは姉弟だといって断わるでしょう。そうすれば、詳しい話を哲さんがするかもしれないよ」
 真理子は黙り込んで聞いていた。。

 都会を遊泳するシングル・ウーマンの誘惑に取り付かれたような彩子は、次々と男を変えてオスとメスの快楽を貪る自由奔放な生活を続けている。
 真理子が東京に戻って彩子と会い、京都でのことを話すと、彩子は笑った。
「真理子は結婚するつもりなの? 男に頼らなくたって生きていけるなら、男など厄介な動物を抱え込まないで、シングルで居るほうかいいよ。ダブルベッドは必需品だけれど」
「彩子には付いていけないよ。男女はセックスだけでなくて愛で結ばれるのでしょ。愛があれば結婚して当然でしょう。彩子は、それをなぜ拒否しているの。男漁りにおぼれていたら身を滅ぼすことになるよ」
「あらっ!真理子がわたしに意見するの? 京都へ行ってから変になったのじゃないの。常識的なレディー感覚よ。『妻を娶らば才長けて見目麗しく情けあり』、真理子はこの歌の文句にぴったりじゃないの。結婚しなさいよ。シングル・ライフにあこがれていた頃の真理子は何処かへ行っちゃったのね」
 彩子は皮肉たっぷりだった。真理子は、それを軽く受け流しながら、冷静に言った。
「突っ張っていた自分と別れるときが来たのよ。女の幸せは家庭をもつことだって、前田さん夫婦とお付き合いして感じたの」
 彩子は、にったり笑いながら真理子の心を窺がうように言う。
「真理子をそこまで変心させるって、何かあったのでしょう、好きな男が見つかったの?」
「彩子は、男のことしか考えないの?そのクセ止めなさいよ。母の老後を見てあげないといけないし、孫も見せてあげたいから、結婚を選ぶことにしただけよ」
 真理子は真剣な顔で彩子に意見するように言う。そこには、自分の真意を汲み取って欲しいという気持が浮き出ていた。
 すると、彩子は反発するように喋る。その剣幕には真理子を軽蔑するようなニュアンスが漂っている。
「真理子のシングル願望はハシカやったのね。お嬢さんが見た束の間の夢ってわけよ。真剣に付き合ってきたわたしが馬鹿みたい」
「そうじゃないよ。真剣にシングル・ライフに憧れていたの。父のことで男を信用できなかったからね。そのことは彩子も知っているでしょう。わたしに同情してくれた。父捜しにも協力してくれたじゃないの」
「ハシカやないと言いたいのでしょう。でも、初心を貫かないから同じことよ。真理子はわたしとは別の世界に行くってこと。わたしの生き方は、アニマル・ライフね。動物的本能を最高に活かして生きようとしているの。人間が勝手に自分を呪縛している道徳に反抗しているのよ。結婚しなくても子供を産んでいい、子供を育てたいのであればね。シングル・マザーはそういうものよ。子供には両親が必要だというけれど、生殖医療で生まれた子供は、究極のケースでは、精子と卵子を提供した両親は不明で、育てた人間を親だと信じて生きてゆくのよ。子供にとって残酷でしょう。わたしは、そういう虚偽を許せないの」
「精子や卵子の提供者の実名をその子供に知らせる義務を課せばいいのでしょう。子供にとっては知る権利があるのだから。わたしが、実父捜しをしたのも親を知りたい一心からだった。その過程で、隆子さんがわたしを産んだことまでわかったの。その衝撃を乗り越えさせてくれたのは、わたしを育ててくれたのは菜穂子さんだった」
「真理子はそれで菜穂子さんに心酔し孝養しようとしているのでしょう」
「菜穂子さんはわたしを実父母から引き離したから恨んでいた。しかし、それはわたしのためだとわかって恨みは消えたの。菜穂子さんはわたしを実子に入籍していたからシングル・マザーと噂されていたけど、実際は養母だった。だからわたしは菜穂子さんに感謝しているの」
 真理子は明るい顔になっている。自分自身の発見の旅が終わろうとしている心境だった。威勢のいい啖呵を切っているような彩子は対照的に暗い顔をしている。
「真理子はわたしのように天涯孤独じゃないのだ。親への憎しみがわたしの人生を創ったのとは天地の違いよ。わたしがセックスはしても子の親になることを拒否しているのは、わたしの両親に対する恨みに根ざしているのよ」
 彩子は暗い笑い声を上げた。
 
          四
 京都に戻った真理子は、前田さんちの畑を手伝っている哲に会って、母・菜穂子の提案を伝える。
「哲は隆子さんと一緒に東京のわたしの家に住めばいいと、母さんが言ったのよ。わたしは母さんと同居するから東京の家は空くの。哲の気持次第よ」
 哲は突然のことで吃驚したらしい。仕事の手を置いて手拭で顔を拭き、真理子を見直している。
「哲にはいい話でしょう。フリーターをやめて定職につくチャンスにもなるわよ。あの家の菜園と花壇を使ってコミュニティ教室を開いてくれば、わたしも手伝うわよ」
 陽は西に傾いて夏とはいえ少し涼しくなっている畑で二人の立ち話が続いている。誰にも聞かれたくないので真理子はこの場所を選んだ。
作品名:色即是空 作家名:佐武寛