戦友に捧げるブルース
何故、もっと他の方法を探らなかったのだろう。何故、彼を止めて話し合わなかったのだろう。
しかしその時、私はサーベルを抜いて久保田の背中を刺すことしか思いつかなかった。
私の頭の中ではスローモーションのような、水の中を歩くような時間で、その瞬間は記憶されている。
私は引き抜いたサーベルを、両手で翳し、女に齧り付く久保田の背中に、思い切り刺したのである。敵ですらサーベルで刺したことなどなかった。肉を刃が貫通する弾力の感触が半世紀以上経った今でも、はっきりとこの手に残っている。
「ぐおーっ……!!」
久保田の血を吐くような呻き声が私の鼓膜を引き裂いた。女の高音と久保田の低音が、湿った空気にこだました。
その声に私は自分のしたことを、ようやく理解した。久保田は私の方を振り向いた。その顔は憎悪に燃えてはいなかった。すがるような、今にも泣き出しそうな顔だったのだ。
「あ、あ……、さ、笹本・・・・・・」
身体にサーベルが刺さったまま、久保田は私の名前を呼んだ。
「おお……、く、久保田……、ゆ、許してくれぇ……」
私は久保田の身体からサーベルを引き抜いた。そして次の瞬間、久保田の口から大量の血が吹き出したのだ。
「う、うげぇ……」
私が刺した場所は急所を外れていたのだろう。久保田はそのまま土の上に倒れ、苦しみ悶えだした。正に七転八倒である。
「は、早く……、ら、楽に……」
私の空耳だったかもしれない。しかし私には久保田の口がそう動いたように見て取れたのだ。
私は一瞬逡巡したが、久保田を殺そうと思って刺したのは自分である。目の前で苦しみ、悶えている久保田を楽にしてやるのは私の勤めだった。
私はサーベルを投げ捨てると、小銃に持ち替えた。
この時、私は女を見た。女は怯えた表情で私と、私の手に握られている小銃を見つめていた。
私は久保田の額に狙いを定めると、小銃の引き金を引いた。自分では躊躇したつもりだったが、すぐに私の全身が、火を吹いた小銃の反動を感じ取った。
そして気が付いた時には、だらしなく両手を広げて横たわる戦友だった男の屍がそこにあったのである。額からは血を流して、両目を大きく見開いた久保田の亡骸である。
作品名:戦友に捧げるブルース 作家名:栗原 峰幸