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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅢLove is forever

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 国王直属といっても過言ではなく、内侍府のどの機関も国王、またはそれに準ずる王室の一員(例えば大妃など)の意を受けて初めて動くものであり、内官と呼ばれる内侍にとって国王の身柄とその意思を守ることこそが第一の任務とされていた。
 崔尚宮からの話で聖泰が我が子であると知った徳宗は莉彩の消息を当たるにつけ、内侍府長を直々に呼び、内々に孫淑容の居所を探し当てるようにと命じたのである。内侍府長の動きは素早く、命令からわずか数日で何と孫淑容の居所が見つかったと報告してきた。内侍府長には監察部を動かさず、内密に―つまり内侍府長直属の配下だけですべてを行うようにと念を押しておいた。
 内侍府長は口の固い、義理堅い男だ、もっとも、お調子者で何でもすぐにぺらぺらと喋ってしまう人間では到底、機密事項の厳しい内侍府では務まらない。ゆえに、内侍府長から情報が漏れることはまずないだろう。
 選りすぐりの精鋭揃いと定評がある監察部をもってしても、国王のゆく方はなかなか掴めなかったようだ。ここを探し当てることはそれほど難しかったのかもしれない。内侍府長が短期間で見つけたことを思えば、監察部長はいささか時間を要した。今の内侍府長は切れ者として知られている。そこはやはり、二人の力量の相違といったところだろう。
 徳宗と淑妍は二人で他愛ない話を交わしながら、ゆっくりと歩いた。村外れの住まいまでやって来た時、徳宗の眼に、家の庭で鶏を追いかける莉彩の姿が見えた。
「旦那(ダー)さま(リー)」
 徳宗の姿を認めた莉彩が顔を輝かせ、大きく手を振る。彼のこよなく愛する妻は愛する良人の隣に小柄で上品な老婦人がいるのを見て、小首を傾げた。

 莉彩の眼の前で、臨淑妍は沈痛な面持ちをして座っていた。淑妍の前には莉彩の淹れたお茶が置いてある。もっとも、今の暮らしでは到底、香草茶など買える経済的な余裕はないが。
「そうでございましたか、よもや王子さま(ワンジヤマーマ)がお亡くなりあそばされているとは思いもかけぬことにございます」
 徳宗からこの半年の様々を聞き終え、淑妍は大きな吐息をついた。
「国王殿下、私が本日、ここに参りました理由は、既にお判りにございましょう」
 淑妍は気を取り直したような口調で徳宗に告げる。
「予は帰らぬぞ、淑妍」
 淑妍が今度はわざとらしく大仰な吐息をついて見せた。
「何を幼子のようなことを仰せになられます。もう十分にございましょう?」
「予は莉彩と共に生きることに決めたのだ。たとえそなたが何と申そうが、二度と宮殿には帰らぬ」
 淑妍の前になると、四十六歳の国王がまるで三歳の幼児に見えるときがある。
「護衛部の者たちを村の入り口付近に待機させております。彼等は今日中には国王殿下をお守りして都まで帰ることになっておりますが」
 護衛部もまた内侍府の管轄下にある。
 淑妍は護衛部と共に輿で都からここまで来たに相違ない。内官を引き連れて乗り込んでは、小さな村が大騒動になってしまう。淑妍は徳宗を〝李光徳〟としてこの村からひっそりと去らせようと考えているのだ。
「もう良い、これ以上、そなたと話すことはない。帰ってくれ。乳母、私は生涯の想い人と定めた妻とこの村で生きる。私は病死したことにして、王族の中から適当な人物を次の王に立てて欲しい」
「むろん、淑容さまも殿下とご一緒にお帰りになられますよ」
 淑妍に強い視線を向けられ、莉彩は息を呑んだ。
「私―」
 何も言えなくなり、うつむいてしまう。
 刹那、莉彩は次に起こった事が現実だとは信じられなかった。
 乾いたパンという音が響き、気が付けば、徳宗が右頬を押さえ茫然と淑妍を見ていた。
 淑妍がその場に平伏した。
「国王殿下、どうか私を殺して下さいませ。たとえ、そこにいかなる理由があれども、私は畏れ多くも国王殿下の尊いお身体に手をかけました。これは到底、許されざる行いにございます」
「乳母」
 徳宗は穏やかな声音で言い、淑妍の傍に寄った。そっと手を添えてその身体を抱き起こす。
「今日、私は大妃さまのご命令によって、ここに参りました。恐らく、大妃さまご自身も私と全く同じお気持ちかと存じます。殿下、殿下はご幼少の砌からその英明さをつとに知られ、誰もが殿下の御世が一日も早く来ることを願っておりました。殿下はまさに王になるべくして生まれられたお方にございます。生まれながらにして王の器をお持ちになり、王たるために生まれたお方が、聖君として民から慕われた殿下が民をお見捨てになるのですか? また、国王殿下は国の父ともいわれます。父が子たる民を見捨てるのですか?」
「淑妍、いかにそなたいえども、言葉が過ぎるぞ」
 王の整った貌が強ばっている。
 が、淑妍は首を振った。
「どうせ死ぬさだめならば、申し上げるべきことはすべて申し上げまする。殿下、私は殿下をそのような無責任な王としての務めも果たせぬようなお方にお育てした憶えはございませぬ。どうか殿下、民の待つ都へとお戻り下さい。この淑妍の生命と引き替えに、眼をお覚まし下さい」
 淑妍の眼から涙がしたたり落ちる。
「淑妍さま」
 莉彩が見ていられず思わず声をかけると、淑妍が莉彩を見た。
「淑容さまにも是非とも申し上げたいことがございます。こうして、殿下と淑容さまを拝見しておりますと、百年も連れ添った夫婦に見えます。恐らく宮殿で過ごされるよりも密度の濃い時間をこの村で過ごされたことでしょう。ですが、淑容さま、甘えは許されませぬ。あなたさまが恋い慕われるお方はこの国の王なのです。あなたさまは国王のただ一人の妻なのですよ。あなたさまがこの方を心からお慕いし、生涯お側にいたいと望まれるのならば、潔く未練はお捨て下さい。今度こそ現代と訣別して頂きたいのです」
「止めよ、淑妍」
 徳宗が声を荒げた。
「莉彩はそれでなくとも愛盛りの息子を失ったばかなりのだ。これ以上、莉彩を追いつめないでやってくれぬか」
「殿下、先刻、私が淑容さまに申し上げた言葉の意味をもう一度、よくお考え下さいませ。いかなる甘えも許されはしないのです。国の父とは、母とは、一人の人間である前に王であり王妃なのです。そして、淑容さまが殿下への想いを貫かれるためには、この時代に生きるお覚悟をなさるより他にすべはございませぬ」
 淑妍は真正面から莉彩を見据えた。
「今度こそ、お心をお決め下さいませ。国王殿下と共にこの時代で生涯をまっとうされるか、この恋はきれいに諦めて現代へ帰るか。道は二つに一つでございます」
 淑妍の生命を賭しての行動は、莉彩の心を打った。
 淑妍は徳宗の乳母として、国王を育てた人として、自らの生命を投げ打ってでも諫言を試みたのだ。この国の未来のためには、自分一人の生命など惜しくはないと覚悟を決め、ここに来たのに違いない。
 何かをただ一つ選び取るためには、生命を棄てるだけの決然とした想いを持たなければならないのだ。
 確かに彼女の言葉はすべてが正しい。
 徳宗が朝鮮国王である以上、彼が莉彩のために玉座を棄てることはできないのだ。ならば、莉彩が選び取るしかない。
 愛する男か。
 両親や友人たちの待つ現代か。
 莉彩は大きく息を吸い込んだ。
「淑妍さま」