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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅢLove is forever

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 やはり、徳宗が予想したとおり、聖泰は落下した際、地面で後頭部を強く打ちつけたらしい。中で内出血を起こし、その血が固まって悪さをしているのだと、まだ若い医者はそう語った。
 もうできることは何もない―、それが医者の診立てであった。最早、幼い生命の焔が燃え尽きてゆくのを黙って見ているしかないのか。
 莉彩は今、自分に襲いかかったその出来事が悪夢としか思えなかった。何故、聖泰がこのような目に遭わなければならないのか。
 身じろぎもせず眠る聖泰の傍らで、莉彩は徳宗に玉牌を見せた。
「金大妃さまより頂いたものです」
 莉彩が低い声で告げると、徳宗は玉牌を手に取り、じいっと眺め入った。
「聖泰、そなたはこの玉牌が示すとおり、正式な王位継承者だ。そなたはいずれこの国の王となり、貧しい者たちを救う聖君となれ。そなたならば、この父を凌ぐ王となろう。死んではならぬ、聖泰、我が子よ」
 徳宗は玉牌をそっと眠る我が子の手に握らせ、静かに語りかけた。
 その二日後の夜明け、聖泰は両親に見守られながら、静かに五年の短い生涯を終えた。
 聖泰の弔いは村人総出で行った。小さな骸を棺に入れる時、莉彩は最後まで号泣して骸に取り縋って離れなかった。
 何とか埋葬し、弔いを終えた時、莉彩は既に、涙という涙を流し尽くしてしまっていた。
「莉彩」
 徳宗も莉彩も白い喪服に身を包んでいる。
 喪服姿の莉彩は放心したように居間の片隅に座っていた。
 そっと名を呼ばれ、莉彩はゆるゆると振り向く。身体中の水分を出してしまったようだが、それでも聖泰のことを思い出しただけでまた新たな涙が湧いてくるのが我ながら不思議だ。
「大丈夫か? 聖泰が事故に遭った日から、そなたは一睡もしていない。少し横になって休んだらどうだ」
 徳宗の労りに満ちた言葉にも、莉彩は何の反応も示さない。
 静かすぎる夜の闇が室内に重く垂れ込めていた。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)」
 莉彩がこう呼ぶのは、随分と久しぶりのことだ。徳宗が眼を見開くと、莉彩が震える声で言った。
「あの子が一体、何をしたというのでしょうか? ただこの国の王の子として生まれたというだけで、あの玉牌のせいで、あの子は生命を落としてしまったのです。あの玉牌さえなければ、あの子は死ななかったかもしれないのに」
 莉彩が両手で頭を抱えた。
「私はやはり呪われているんだわ! こんな―暮らしていた現代から大昔に飛ばされて、たった一人の息子まで奪われてしまった! あなたと出逢わなければ、あの子は死ぬことはなかった。いいえ! あなたと出逢うことさえなかったら、あの子が生まれてくることもなかったのよ。私、私―、あの子がいなくなったこの時代でどうしたら良いの? そうだわ、大妃さまがあの子を殺したよ、私のことも憎んでいるから、あの玉牌をあの子に渡して―」
「莉彩、落ち着きなさい。莉彩!」
 徳宗が泣き叫ぶ莉彩を抱きしめた。
「母上(オバママ)を恨んではならぬ。母上に今更、聖泰をどうこうしようなぞというお気持ちがあるはずもない。母上はあの子が世子となるべき王子だと知りながら、あの子の身柄をそなた託したのだ。せめて、そなたの気が変わった時、あの子がその出生に疑いを持たれぬようにと王子であることを証明する玉牌を持たせたのであろう」
「これは天罰だわ。あなたに私が玉座を棄てさせた―、怖ろしい罪に御仏が罰を下されたのよ。あなたと出逢わなければ、あの子も生まれてくることはなかった。私の選んだ道はやっぱり、間違っていたのかもしれない」
 莉彩はうろつなまなざしを宙にさまよわせ、うわ言のように呟き続ける。
 それを聞く徳宗の瞳はひどく傷ついたように哀しげだった。
「莉彩、そのようなことを申すものではない。あの子が生まれてくることがなかったらなどとは、口が裂けても申すでない。あの子は短い一生ではあったが、精一杯生命の限り生きたのだ。利発な良い子であった。無事に生い立っておれば、必ずや賢君となっただろう。生まれてから五年もの間、あの子は両親である私たちに様々な歓びを与えてくれた。私たちはあの子が与え、残してくれた想い出を支えとして、これからも生きてゆこう」
 莉彩がしゃくり上げた。
「殿下」
 その胸に顔を押しつけ、莉彩は声が嗄れるまで泣いた。徳宗は大きな手のひらで莉彩の背中を撫で続ける。
 あやすように、宥めるように。

 時はゆるやかに流れる。
 大切な者、愛しい者が亡くなっても、哀しみを呑み込んで時は過ぎ、流れゆく。
 莉彩の日常は極めて平坦に過ぎていった。
 朝、良人と二人で朝飯を終え、子どもたちに手習いを教える日は、村長の家まで出かける。
 大勢の子どもたちを相手にしていると、聖泰を失った哀しみをも一時、忘れるようであった。
 良人はかつては聖君と呼ばれその業績を讃えられた偉大な国王だった。
 今はすべてを棄てて李光徳と名乗る彼は野良仕事に汗を流し、時には村の男たちと集まり、酒盛りに加わる。
 莉彩もまた村の女たちと親しく交わり、農作業で忙しくて女たちが赤ン坊の世話ができないときは歓んで面倒を見た。
 李光徳とその妻莉彩はいつのまにか小さな農村の住人となり、村の暮らしに溶け込んでいたのである。
 その年もそろそろ終わりに近づいた真冬の初め、村に初雪が降った。
 雪は降り止むことなく二日降り続け、三日
を取られ、度々転びそうになり、到底、危なっかしくて見てられない。
 徳宗も皆に混じり、雪かき作業に加わったが、その帰り道、覚束ない脚取りで歩く女性を背後から見かけた。
 どうにも冷や冷やして見ていられないと思った時、女人の身体が大きく傾いだ。
「危ないッ」
 徳宗は叫び、慌てて彼女に駆け寄った。
 女性は外出用のコートの下に綿入りのチョッキを着込み、寒さに備え完全防備で来たらしい。その物々しいいでたちに徳宗は思わず笑い出しそうになった。
「大丈夫ですか? 雪道はよく滑るし、脚も取られやすいので、気をつけた方が良いですよ」
 年配の婦人と見られる女性に親切に告げた時、その女人が目深に被っていたコートをそっと持ち上げた。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)、お久しぶりでございます」
 にっこりと笑みを浮かべたその貌は見憶えがあるというどころではない。
「ユ、乳母(ユモ)」
 徳宗は思いがけない再会に言葉を失った。
「全く見違えるほどのお変わり様でございますこと。かつては王衣をその御身に纏って玉座にあられたお方が今や野良着と王冠の代わりには襤褸布を頭に巻いていらっしゃるのでございますから」
「―相変わらず皮肉が上手いな、乳母は」
 苦笑する徳宗を、臨淑妍は軽く睨んだ。
「笑い事ではございませんよ。殿下のおん行く方をお探しするのにどれほど手間取ったことか」
「しかし、よく判ったな」
 と言ったところで、王ははたと思い当たり、歯噛みした。自分としたことが、あまりにも迂闊だったと思う。淑妍の弟は内侍(ネシ)府(プ)の監察(カムチヤル)部長であったことを失念していた。
 元々、この村に住んでいた莉彩のゆく方を突き止めたのも内侍府の力があったからこそだ。内侍府は国王と密接な拘わりを持ち、朝廷ですら及ばないほどの権限を有している。