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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅢLove is forever

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更にそれからひと月。
 不幸な予測は当たり、村は収穫の時期を迎えたものの、収穫高は例年の半分にも満たなかった。村では更に三人の若い娘たちが売られていった。
 十月もそろそろ終わりに近づいたその日、
聖泰はいつもの遊び友達数人と共に裏山で遊んでいた。山というほどの高さではないのに、何故か村人たちから〝裏山〟と呼ばれている場所だ。
 聖泰は樹上りが得意である。母の莉彩からは絶対に上ってはいけないと戒められているのだが、これが面白くて止められない。
 今日もいちばん上までするすると器用に上り、頑丈そうな太い枝に陣取って、はるか下を眺めている。
「聖泰ちゃんー」
 母が懇意にしている趙家の娘尚花が下から手を振っている。
「待ってろよ、一杯美味しそうなのを取ってやるから」
 秋たけなわで、樹齢も結構いっていそうな樹には、よく熟れた甘そうな柿が幾つもついている。
 この実をたくさん取って帰って、お父さんやお母さんに食べさせてあげたい。
 聖泰はそう思った。
 聖泰は父のことが大好きだった。何か理由(わけ)があってずっと一緒に暮らせなかったらしい父と共に暮らし始めて五ヵ月、父はよく聖泰と遊んでくれる。父の肩に乗ってぐるぐると回るのは、特に聖泰の好きなことの一つだ。
 背の高い父に肩車して貰うと、自分までもが巨人になったように高みから周囲を眺めることができる。
 庭で一緒に土を耕したり、実った野菜を取ったり、そんな些細なことが嬉しくて愉しくてならない。
 父とは前に一度、逢ったことがあるよう気もするのだけれど、母がこれまで逢ったことはないというのだから、聖泰の気のせいだろう。
 最初はほんの少しだけ父と接するのがぎこちなかった。父が嫌いだったのではなく、恥ずかしさや照れからくるものだった。ずっとお父さんには逢いたいと思っていたし、どんな人なんだろうと想像していたら、聖泰が考えていたとおりの優しくて頼もしい男だった。
 お父さんは何でも知っているし、難しいことでも聖泰に判りやすく話してくれる。聖泰は父をただ好きなだけではなく、尊敬もしていた。大人になったら、父のように立派な男らしい男になりたいと憧れている。
 いかにも美味そうな柿を見せたら、父はどんな顔をするだろうか。いつものように眼を細めて聖泰を見つめ、頭を撫でてくれるだろうか。
 聖泰は父の歓ぶ顔を思い描きながら、立ち上がり、背伸びをして一杯に右手を伸ばした。
 すぐ近くに、いっとう甘くて美味しそうな実がある。
 あれをお父さんに食べさせてあげるんだ。
 聖泰の気は逸った。
 その時、ふとした拍子に脚が滑り、身体が揺れた。慌てて傍の幹を掴んだので事無きを得て、ホッとする。流石にドキリとして冷や汗が流れた。
 と、そのせいか、懐にしまっている玉牌が落ちそうになっているのに気付く。
 これは大切なものだから、絶対に無くしてはいけないと母から言い聞かされていた。もしうっかりと落としてしまったりしたら、大変だ。
 聖泰が玉牌を懐に押し込もうとしたその刹那、誤ってかえって玉牌を掴み損ねてしまった。玉牌がつるりと手から滑る。
「ああっ」
 聖泰は小さな声を上げた。慌てて手を伸ばして受け止めようとして、小さな身体が大きく揺れる。
 落ちてゆく玉牌の後を追うように、聖泰の身体も真っすぐに樹から落下していった。

 村長の屋敷から帰ってくる途中、莉彩は向こうから息せき切ってくる子どもに出逢った。
 丁度、莉彩の住まいへと続く道が二股に分かれる場所で、目印の大銀杏の樹が黄金色の葉を茂らせていた。
「おばちゃん、おばちゃん」
 その女の子は趙家の次女で、聖泰とは同い年になる。
「どうしたの、尚(サン)花(ファ)ちゃん」
 尚花もまた莉彩から字を教わっている。売られていった少女たちも皆、頻繁とはゆかないが、教室に顔を見せていた子たちばかりだった。あのまだあどけない娘たちが妓楼に売られていったのだと考えると、莉彩は気が重くやり切れなかった。
 今日は大きい年代の子どもたち対象の日で、尚花のような幼い子の日ではない。
「大変なんだよ、聖泰ちゃんが樹から落っこちたの」
「え―」
 莉彩は固まった。身体中の血が沸騰するのではないかと思うほど狼狽える。
「今、おじちゃんのところには、うちのお兄ちゃんが知らせにいってる」
 莉彩は尚花の後について走った。
―どうか南無観世音菩薩、聖泰を助け給え。
 心の中で祈りながら、走った。
 どうやら、子どもたちは村の背後の山に登ったらしい。山といっても、小高い丘程度のもので、てっぺんに柿の樹が一本、植わっている。聖泰はその樹に上って、熟した柿の実を取っていたようだ。
 莉彩が駆けつけた時、既に徳宗はその場に来ていた。柿の樹の下に聖泰がぐったりと横たわっている。その周囲を数人の子どもたちが取り囲んでいた。倒れた聖泰の傍に、真っ赤に熟れた柿が数個、転がっていた。
 その鮮やかな色が我が子の血の色に思え、莉彩は思わず眼を背けた。
 女の子の中には泣いている子もいる。
「旦那さま」
 莉彩が悲鳴のような声を上げると、徳宗が鬼気迫る形相で振り向いた。
「とにかく家へ連れて帰る」
 意識を失った聖泰の身体を抱き上げると、徳宗はゆっくりと山を降り始めた。
 家に帰り、布団を敷いて寝かせると、徳宗は難しい顔で呟いた。
「村には医者がおらぬ。目立った外傷はないが、どうも頭を強く打ったらしい。趙家の夫人に訊ねたところ、いちばん近い村まで馬を使えば、半日で行ってこられるそうだ。そこには医者がいるというから、これよりすぐに参る。私が帰るまで、聖泰を頼む」
「―はい」
 莉彩は心細い想いで応えた。
 それから徳宗が帰ってくるまで、莉彩には、まるで時計の針が永遠に止まったかのように果てしなく長い時間が続いた。
 昏々と眠り続ける聖泰の枕辺で莉彩は一睡もせずに夜を明かした。
 その朝、趙家の尚花が顔を覗かせた。
 お見舞いのつもりなのだろう、手には野道で摘んだ白い花が一輪握られている。
「おばちゃん、これね。聖泰ちゃんが昨日、落としたんだよ」
 尚花の話によれば、聖泰が樹から落ちたのは、そのせいであったという。聖泰が懐にしまい込んでいたそれを落とし、慌てて拾おうとして、脚をすべらせたのが落下の原因だった。
「これは」
 莉彩は尚花から受け取った品―玉牌を手のひらに乗せ、茫然と呟いた。
 その玉牌はかつて都を落ちる際、金大妃から与えられたものだ。これを持っている限り、朝鮮王室を繋ぐ正統な王位継承者であることを証明するという大切なものだ。
 聖泰は子どもなりに、これが大切な品だと認識していた。だからこそ、落としてしまったことで慌てたに違いない。
 礼を言って尚花を帰してから、莉彩は玉牌を握りしめ、すすり泣いた。翡翠で拵えられた円形の玉牌は繊細で複雑な模様が刻まれている。翡翠を彫った飾りの下に色鮮やかな長い房がついており、聖泰は文字どおり宝物のように大切にしていた。
 尚花が帰ってから二時間ほどして、徳宗が隣村から医者を連れて帰ってきた。しかし、横たわったままの聖泰を診て、沈痛な表情で首を振った。