有明バッティングセンター【前編】
にんじんの皮を剥き、たまねぎを切りながらエレーナは中嶋をバット職人、西脇
源五郎に会わせた時の事を思い出していた。源五郎が、
「いい人見つけたわね、彼、とってもいい眼を持っているわ。龍眼って言うのよ。」
とエレーナに言ったのを思い出した。
その時は、野球用語か何かだと思い、聞き流していたが、今日の会話でその意味
を理解した。一郎が中嶋と同じ雰囲気を持っているが、どこが似ているかという
部分を特定できないでいたエレーナだったが、今夜、中嶋の写真を見つめる一郎
の横顔を見ながら、自分がその眼差しに愛しさを感じている事を悟った。背中で
感じる一郎の気配は、懐かしい彼の物と同質な安らぎを与えていた。
ブランデーグラスに入れたキャンドルがやさしい炎を揺らすテーブルに向かい合
って二人、並べられた料理の皿にナイフとフォークを立てながら、赤ワインの仄
かな酔いを感じていた。
「一郎」
エレーナがつぶやきとも取れるトーンで呼びかけた。
「ん?」
「ごめんなさい。」
「何が?」
こういう状況で、あやまられた時、大抵の場合は悲しい結果になる。今まで、数
々の修羅場をくぐって来た俺は、こういった展開を幾度となく経験して来たのだ。
「私、一生彼の事、忘れられないわ。私、あなたの後ろに彼の影を追っているん
だもの。もちろん、一郎のことは好きよ。愛しているわ。でも、彼は私の一部な
の。取り去ることは出来ないわ。そんな女、愛せるわけ無いわよね。」
(なんだ、そんな事か。言わなくてもいいのに。やさしい女だ。)
「そりゃ、俺だって男だよ、他にもっと好きな人がいるって言われりゃ嫉妬もす
るさ。でもね、心が通い合う相手っていうのはそう居るもんじゃない。「You got
mail」って映画見たことあるかい? 現実の世界ではいがみ合う二人がお互いを
知らないメールの世界では、惹かれあうというストーリーだけど、そこが一番大
切だって事が、バツイチの俺には身に沁みて分かるよ。所詮、あっちへ逝っちま
った奴に勝てるわけないし、そいつも含めて愛しちゃうもんね。」
作品名:有明バッティングセンター【前編】 作家名:ohmysky