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約束~リラの花の咲く頃に~再会編Ⅰ

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 王の顔をまじまじと見つめた莉彩に、王は笑って頷いた。
「今年がそなたの約束した十年めだ。あの時、そなたは四月にりらの花が咲くと言った。ならば、もし、そなたが再びここに現れるなら、十年めの四月―即ち今月ではないかと思うたのだ。この月になってからは、毎日欠かさずここでそなたを待っていた」
 おお、神さま。
 莉彩の眼に涙が溢れ出す。幸運な偶然か、これも予め定められた必然かは判らないけれど、莉彩は、〝あの日〟から十年後の徳宗に逢うことができたのだ。
 王が両手をひろげる。莉彩は十年間、焦がれ続けた男の腕の中へと飛び込んだ。
 涙が溢れて、止まらない。だが、これは哀しみではなく、歓びの涙であった。


  契り

 莉彩は王と共に王宮に戻った。十年も前に突如として宮殿から姿を消した臨(イム)女官が再び舞い戻ってきた―、このニュースは忽ちにして宮殿内を駆けめぐった。莉彩を再入宮させたのはあくまでも提調尚(チェジヨサン)宮(グン)(後宮女官長)であるということになっていたが、内実は国王その人が連れ帰ったのだという噂が真しやかに語られた。
 国王がよもや一介の女官を、しかも十年前に宮殿から逃げるようにいなくなった不届き者を自ら再入宮させたというのは、いかにも外聞をはばかる話だ。それゆえ、王の乳母であった臨尚宮が提調尚宮に頼み込んで再入宮させたという形式を取ったものの、そのような小細工がまかり通るほど後宮は甘い場所ではない。
 そのことは、王がそれほどまでに臨女官に執着しているという事実をより強調することにもなった。周囲の視線は莉彩に対して冷たかった。十年前には親友として接してくれていた朋輩女官たちですら、莉彩を見かけると遠巻きにひそひそと囁き交わし、ろくに視線を合わせようともしない。
 莉彩が話しかけようとしただけで、若い女官たちは皆、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまうのだった。女官は一度後宮に入れば、生涯を宮外には出ずに過ごすことになる。むろん、ちょっとした外出や里帰りなどはこの例ではない。が、永のお暇を賜ることはできず、生涯を日陰の花で過ごすのだ。
 仮に出宮できても、国王の女と見なされる女官は一生、結婚はできない宿命である。通常、明確な理由もなく、ましてや許可なく出宮すれば、それは逃亡と見なされ、見つかれば厳罰に処される。最悪の場合、生命を失うことさえあるのだ。
 なのに、臨女官は十年前に逃亡した罪を問われないばかりか、王おん自らの意思で再入宮が決まったという。周囲の羨望や嫉妬混じりの視線が莉彩に集まるのも当然といえば当然ではあった。
 とはいえ、ほんの四ヵ月ばかりしか宮仕えの経験のない莉彩は新米同然の身だ。幾ら王の贔屓があるとはいえ、与えられる仕事はやはり洗濯や掃除といった下働きがするような雑務ばかりだった。
 だが、莉彩はそれらの仕事を率先して行った。確かに自分がしたこと―無断で出宮したことは、この時代の常識でいえば容易く許されて良いことではない。それに、女官としての経験が浅いのも事実だったから、下積みとしての仕事をこなすのは当たり前だと思ったのである。
 宮殿に戻った日以来、王とは何度か逢う機会はあった。とはいっても、輿で広い宮殿内を移動する王を遠くから見かけたといった程度のものだ。しかし、王はどんな遠くからでも莉彩を見つけ、気軽に声をかけてきた。
 莉彩は深く頭を垂れて〝聖恩の限りにございます〟としか応えない。全く形式どおりのやり取りではあったが、それでも莉彩は十分幸せだった。二度と逢えないと思っていた男に逢える。大好きな男が生きている時代に自分もまた生きている。
 同じ空を見て、同じ空気を吸い、同じ月を見る。まさに夢に見た至福のひとときを自分は味わっているのだ。
 この時代にいつまでいられるのかも実のところ、莉彩は知らない。多分、自分で来ようと思ったときに来られる―というような簡単なものではないのだろうと思う。何かの条件が幾つか重ね合わさったときに、時の扉が開くのではないか。
 例えば、今回、莉彩が時を越えられたのは、王と約束した〝十年後のリラの花の咲く頃〟だったからではないか。二人の交わした約束に、リラの花の簪が共鳴した―。
 十年前に初めてこの時代に飛んだ日、不思議な老人がこう言った。
―時を越えておいでになったお優しいお嬢さま。今、お嬢さまの御髪に挿している簪はこちらの世界とあちらの世界を繋ぐ鍵となる大切なものにございます。
 多分、時を越えるためにリラの花の簪は絶対に必要なものに違いない。それに更に残りの必要な条件が揃った時、あちらとこちらを繋ぐ道ができ、扉は開かれる。
 もし、あれが仮に九年後であったとしたら、時の扉は開かなかったのかもしれない。
 意図して時を行き来することができないのだとすれば、逆に偶然が幾つも重なり、突然に時の扉が再び開くこともあり得るだろう。つまり、再会と同じく王との別離がいつ訪れるのかも莉彩には皆目見当がつかないのだ。
 もしかしたら、別れは明日かもしれない、今夜かもしれない。ならば、つまらないことで悩んだりしている時間はない。与えられた時間を大切に過ごしてゆかなければ。
 そんな想いで莉彩は過ごしていた。
 ある夜、莉彩の部屋に王が忍んでやって来た。宮殿に戻ってから、既にひと月近くが経とうとしていた。
 王と二人だけで逢えるのは、これが初めてだ。莉彩は歓んで王を迎えた。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)、このようなお時間によろしいのでございますか?」
 莉彩が生真面目に訊ねると、王は茶目っ気たっぷりに返してくる。
「口煩い副提調尚宮(チェジヨサングン)や大殿(テージヨン)内官(ネーガン)は置いてきた。今頃は予がどこにもいないのを見て、慌てふためいておることだろう」
 十年前は三十歳だった王は確か四十歳になっているはずだが、その若々しさ、凛々しさは少しも変わってはいなかった。かえって十年の歳月が王者らしい風格や威厳を添えたようで、この自信に溢れた雄々しさに生来の輝かしい美貌が加わって、見惚れるほどである。
 副提調尚宮といえば、かつて莉彩がリラの簪をしているのを見咎め、王の御前で叱り飛ばしたあの劉尚宮であった。
 あのときのことを思い出し、莉彩は思わず笑ってしまった。
「よろしいのでございますか? 劉尚宮さまはお歳にございますゆえ、あまりご心労をおかけするのはよろしくないかと存じますが」
 その控えめな意趣返しに、王は吹き出した。
「何だ、そなたもなかなか申すようになったな」
 夜更けとて、王は公式の場で纏う龍袍から、ゆったりとした私服に着替えている。莉彩の方は昼間と変わらぬ女官の制服姿であった。
「十年も経てば、人は変わります」
 肩をすくめる莉彩に、王が眼を見開く。
「そう―だな。莉彩、私は今年で、四十になった。十年前のように、もう若くはない。そなたの眼に、私はどのように見える?」
 莉彩は少し首を傾げ、王をじいっと見つめた。
「ご立派になられたと思います。以前もご立派だと思っておりましたが、ますます国王さまとしての風格を備えられてきたようにお見受けします」
 そこまで言って、莉彩はもどかしげに首を振った。