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漢字一文字の旅  二巻  第一章より

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その後、明治四年(1871年)、兄の山本覚馬を頼って上洛する。そして京都女紅場(府立第一高女)の教道試補となる。
それから兄を通して同志社を創設したクリスチャン新島襄と巡り会い、明治九年(1876年)に31歳で再婚する。京都初の日本人同士のキリスト教式の結婚式だった。
男勝りの八重は新島襄の同志社の運営に助言をし、またかしづかず、西洋慣習に慣れた夫とは似合いの夫婦だったとか。

新島襄は八重のことをアメリカの友人にこう評した。
「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です」と。

その後、新島襄は46才で逝き、八重は日本のナイチンゲールとして日本赤十字社で活動し、87歳でその生涯を閉じる。

京都岡崎に光明寺という寺がある。
そこは京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた場所。
そこには境内の会津藩墓地で撮影した八重の写真がある。
87歳の八重が穏やかな表情で写っている。

また鶴ヶ城落城時に刻んだ和歌を写した八重直筆の書が残されてある。
それは達筆で驚くものだ。

八重には悪妻、烈婦、元祖ハンサムウーマンと様々な評があった。
まさにそれこそが【八】、末広がりで様々、【八】重の生き方そのものだったのだろう。