天つみ空に・其の一
「言わせておけば、町人の分際で言いたい放題の無礼の数々。最早、このまま捨て置けぬ」
いきり立って刀を振りかざして突進してこようとする。
「危ないッ」
お逸が悲鳴を上げた。
しかし、男は余裕で佇んでいる。そのまま向かってきた侍をするりと交わし、逆に刀を持つ利き腕を掴み、ねじ上げた。
「ツ」
侍が痛みに呻き、顔をしかめる。
「さて、どう致しましょうか。私は細身にはございますが、こう見えても、強力にございます。このままでは、お侍さまの大切な腕が折れてしまうことにもなりかねませぬが、よろしうございますかな」
穏やかな表情で淡々と言う様子がこの場にそぐわず、かえって凄みがある。
「わ、判った」
侍は呆気なく降参した。
と、丸顔の方が今度は刀を抜いて飛びかかってくる。秋の陽光に、白刃がキラリと光った。
―危ないッ。今度こそ、やられてしまう。
お逸は思わず眼を背けた。だが、わずか後、お逸の耳に飛び込んできたのは、丸顔の侍の情けない悲鳴であった。
「う、うへえ」
どうやら、男は脚許に落ちていた棒きれを拾い上げ、それを木刀代わりにしたらしい。丸顔の侍は男に棒きれで手をしこたま叩かれ、あまりの痛みに悲鳴を放ち、剣を取り落としていた。
全く、口ばかりの情けない侍たちであった。
「お侍さま、先ほどからお武家の誇りだ体面だとしきりに仰せにございましたが、私ども町人も同じ人間。なれば、人としての誇りも意地もございます。どうぞ、今後は弱き町人相手にあまりにご無体なことはなさらず、お侍さまの誇りとやらをまっとうなされて下さいますよう」
見事な引き際であった。まだ痛みに喘いでいる侍たちには頓着せず、男はお逸に向き直った。
「お内儀さん、お怪我などはございませんでしたか」
お逸を〝お内儀さん〟と呼ぶからには、伊勢屋の奉公人であることに間違いはない。それにしては見かけぬ顔だと、お逸が小首を傾げた時、傍らから、おみねが耳打ちした。
「手代頭の真吉(しんきち)さんにございます」
そのひと言で、漸く思い出した。そう言えば、店の主だった奉公人を紹介された時、手代頭が真吉と名乗っていた。人眼に立たぬ、いかにも寡黙な男であったことだけは記憶している。まだ父を喪ったばかりのお逸は、その手代頭もただぼんやりと見ただけで、顔などはすぐに忘れてしまったのだけれど。
「危ないところを助かりました。ありがとう」
お逸が微笑んで礼を述べると、真吉はハッとした表情になり、次いで少し頬を赤らめた。
「いいえ、たいしたことではございません。それよりも、ご無事で何よりでございました」
初対面では落ち着いた雰囲気の男という印象が強かったが、今、間近で接する真吉は、お逸に微笑みかけられて、照れているようだ。その姿は年相応の若者のように思えた。
「ここより先は、手前がお送り致します」
真吉は慇懃に述べると、お逸とおみねを守るように傍らに寄る。町人町の伊勢屋までは眼と鼻の先であったが、それから真吉はずっと伊勢屋に帰り着くまで傍についていた。
普段は口数も少ない穏やかな男が束の間見せた、胸のすくような鮮やかな変わり様は、この日、お逸の心に何故か強く灼きついた。
そして、それがお逸と真吉の出逢いであった。
《其の弐》
その数日後、お逸は近くの随明寺まで出かけた。むろん、おみねがお供である。随明寺は黄檗宗の名刹で、開基は浄徳大和尚。江戸初期に名を残す彼(か)の名僧は京都の宇治に万福寺を開いた隠元隆琦の高弟の一人になる。時の帝に大師号・紫衣を許されたほどの高僧でありながら、どちらをも辞退し、常に市井にあって衆生と布教のために一生を捧げた偉大なる浄徳大和尚の生涯は、随明寺の金堂に物語風の絵巻として額に描かれ掲げられている。
通称〝息継坂〟と呼ばれる長くて急な石段を昇りつめると、〝浄土在是〟(浄土これにあり)と書かれた額が掛かる山門に出逢う。これは、浄徳大和尚自身が書いたとされており、和尚の豪放磊落な性格を物語るように、勇壮でのびやかな手蹟である。広大な境内には金堂、三重ノ塔、絵馬堂などの諸伽藍が点在し、更に最奥には開祖の浄徳大和尚を祀る奥ノ院、その傍らには〝大池〟と呼ばれる巨きな池がある。大池の傍らには、桜並木があり、春には江戸の名所図絵にも載るほどに見事な桜景色が愉しめる。
月に一度の縁日市には大勢の露店が境内に所狭しと居並び、多くの善男善女で賑わう。その中でも浄徳大和尚の祥月命日に催される市は〝大祭(たいさい)〟と呼ばれ、殊更大がかりなものであった。
随明寺は桜の名所としての他に、今一つ、秋には紅葉狩りの名所としても知られている。もっとも、こちらは春の花見時分ほどの人出はないけれど、閑散とした境内は、のんびりと紅葉を愛でるにはもってこいである。
その日の朝、清五郎から
―紅葉見物にでも行っておいで。
と言われ、出かけてきたのだった。清五郎はその点も申し分ない男で、伊勢屋に来てまだ漸く半月ほどの間に、両国まで芝居見物に一度連れ出してくれた。その折は、今、江戸の女たちの間で大人気の女形瀬川市之丞の演ずる〝雪姫〟、〝鷺娘〟、〝八重垣姫〟の三本立て芝居を心ゆくまで堪能できた。まさに、一日がかりの芝居見物で、伊勢屋ほどの大店でなければ叶わない贅沢であったろう。
瀬川市之丞は流石に江戸の女たちの熱い視線を集め、錦絵も飛ぶように売れているとあり、絵に描いたよりも美しい男であった。錦絵の市之丞も美しいけれど、実際の市之丞の方がよほど美しい。切れ長でややつり上がり気味の眦にほんのりと紅をぼかした様が、また何とも艶だ。まなざし一つ、仕草一つに、そこはかとなき色香が漂い、見る者を魅了する。
市之丞が男であることは判り切ったことだが、女形のなりをして華麗に舞ってい姿は、色香には全く縁のない小娘のお逸などより、よほど女性らしい妖艶さを振りまいている。
お逸は、妖艶な市之丞を見て、憧れる傍ら、溜息をつきたい気分になったものだ。
それはともかく、清五郎は申し分のない男であった。それを良人としてと形容するか、父或いは兄―つまり保護者代わりとして形容するかは迷うところではあるけれど、お逸は清五郎自身が最初に言ったとおり、兄のような存在として見ている。
伊勢屋での暮らしは、快適そのものであった。清五郎はお逸を娘のように大切に扱い、むろんのこと、閨を共にすることもない。お逸のすることといえば、自室で絵を描くことか、琴をかき鳴らす程度のものなのだ。贅沢を承知で言うならば、あまりにも快適すぎて、することが何もない、退屈だというくらい。
その合間には、気散じに行っておいでと、こうして外に出してくれる。
お逸主従は、ゆっくりと広い境内をそぞろ歩いた。金堂でお賽銭を上げて、しばし手を合わせた後、三重ノ塔を横目に見ながら、更に奥へと進む。小さな朱塗りの鳥居をくぐった先に百度石が見え、その奥にこじんまりとした御堂が佇んでいた。ここが絵馬堂であり、あまたの願いを記した額が格子状になった扉に掛かっている。ここらまで来ると、昼でもなお深閑として、人気がない。そのことから、絵馬堂の前は男女の逢い引きの場所としても知られている。