鈴~れい~・其の三
―それで良いの。あなたは、私を許さないでいて。愛してもいないくせに、あなたに抱かれて身もだえていた私を淫乱で恥知らずな女だと思いきり罵ってくれれば良い。そして、あなたが私を殺せば、あなたの苦しみは終わるでしょう。あなたの孤独は私がいなくなっても、ずっと続いてゆくかもしれないけれど、少なくとも、私という人間がいなくなれば、裏切り者はあなたの眼の前から消える。だから、お願い。もし、私があなたにこの気持ちを告げたなら、あなたは私を殺してね。それで、あなたの気が少しでも楽になるのなら。私はそれで良い。私のためならば、人を斬ることを止めるとまで言ってくれるあなたに、私は応えることができない。そこまで言ってくれても、私は永遠に、あなたに愛しているとは言えない。たとえこの身を八つ裂きにされたとしても。
―私は・あなたを・本当の意味で・裏切りたくはないから―。
だから、愛を返せない自分は、男の手にかかって最後の瞬間を迎えるのがいちばんふさわしい。
口づけが再び深くなってゆく。お亀は、もう一度、烈しい怒濤の中へ、二人だけの濃密な時間へと身を投じていった。
その数日後。木檜藩は例年よりは十日余り遅れて、梅雨入りを迎える。満ちた月がほんの少しだけ欠けた頃、お亀の許に予期せぬ闖入者があった。
その夜、珍しく嘉利のお渡りはなく、お亀は一人で夜を過ごした。その日は丁度先代藩主嘉倫公の月命日に当たるため、嘉利は奥向きには脚を踏み入れることなく、表の寝所で一人寝むのだ。現実として歴代藩主の月命日がひと月に何度かあり、その日は藩主は潔斎精進して、夜も女を侍らせることはない。
そういった夜は、当然のことながら、嘉利はお亀と臥所を共にすることもなく、お亀はいつも一人で眠った。〝畜生公〟と呼ばれる嘉利だが、こういった歴代藩主が連綿と受け継いできたしきたりは、意外と律儀に守っているようである。
恐らく、本来の嘉利の性格は几帳面で、潔癖なのではないかと、お亀はこの頃思うようになっていた。だが、嘉利当人の告白によって明らかになったように、嘉利は七歳のあの日を境に変わってしまった。名君と尊敬される父を誇りに思い、我が父と信じて疑わなかった無邪気な子どもから、その大好きな父に〝そなたは我が子ではない〟と無情にも突き放されたそのときから、嘉利の一生は大きく狂ったのだ。
夜になって、菫色の空に琥珀色の月が昇った。お亀は自室の障子戸を開け、そっと縁側に佇む。何故か、今夜は幼い頃のことばかりが思い出された。
物心ついたばかりの頃、母に連れられて森を抜け、賑やかなお城下へ初めて来たときの子どもらしい興奮とときめき。同じ歳のお香代とすぐに仲よくなり、二人はまだ健在であったお香代の祖父壱助に連れられ、お城下に出かけた。伯父幹之進に貰った小遣いを握りしめ、紙風船と風車を買ったときの嬉しさ。小さな村で生まれ育ったお亀は、貧しい農村の暮らししか知らなかった。その瞳に、着飾った人々が行き交い、物売りの声が響き渡る賑やかな城下町の往来は、別世界のように華やいで見えたものだ。
その頃、初めて相田小五郎とも出逢った。まだ前髪立ちの、大きな眼をした小五郎はちょっと見には女の子と見紛うほど愛らしい子どもだった。そう、確か、あの時、お亀とお香代は五歳、小五郎は三つ上の八歳であった。
小さな子どもが道場に入門してわずか三年でめきめきと腕を上げ、並み居る兄弟子たちを次々と打ち負かす姿は奇蹟のように見えた。
小五郎と話すことは滅多となかった。伯父幹之進は小五郎とお亀が刀を交えることは許さなかった。他の門弟たちに混じれば、お亀は女であるということを別にしても、けして引けは取らなかった。が、剣にかけては伯父を凌ぐとさえ囁かれている小五郎と闘っては、流石のお亀も太刀打ちできないことを幹之進が端から予測していたからかもしれない。
ゆえに、遠くから見かけたり、庭ですれ違うことはあったけれど、小五郎は軽く目礼するだけで素っ気なく通り過ぎてゆく。その頃から、伯父幹之進は小五郎をいずれは次の道場主にと思案していたのだろう。所詮、小五郎のような将来を期待された少年と、自分みたいな凡庸で何の取り柄もない女の子ではつり合うはずがないのだと諦めていた。
―お香代ちゃんのように、可愛くてきれいな女の子をきっと小五郎さまもお好きなのだわ。
今から思えば、随分とませた子どもだったものだ。ずっと自分は日陰の身で、お香代が陽の光を受けて咲き誇る大輪の花ならば、自分はその陰でひっそりと咲く小さな野花のようなものなのだと思ってきた。ゆえに、十五になったある日、しばらく音沙汰のなかったお香代から突如として文が来て、小五郎と恋仲になり、祝言を挙げることになったと知らされても、格別に落胆もしなかった。
自分は小五郎にほのかな思慕を抱いたことはあっても、小五郎はきっと自分のようなつまらない娘のことなど、とうに忘れている―いや、端から道端の石ころくらいにしか見られてはいないのだと諦めていたのだ。
だから、ふた月前、小五郎が突然訪れ、五年ぶりに再会したときには驚愕した。お香代の死の衝撃もむろんであったけれど、小五郎があの頃、お香代よりも自分に想いを寄せていたと打ち明けられかけ、慌ててその言葉を遮った。
あの続きは、聞いてはならない、否、今更聞いても致し方のないことであった。むしろ、小五郎とお香代が夫婦となり、そのお香代が不幸な死を遂げた今、小五郎に言わせてはならい科白でもあった。それは、お香代を冒涜することにもなりかねない。
それに、すべてを聞いてしまえば、もう二度と何もなかった頃の自分たちには戻れない。お亀は日陰の野花で十分だった。お香代もおらぬ今、昔の淡い初恋が今になってどうなるとも思えないし、また、どうしたいとも思わない。想い出は想い出として、心の奥底に大切にしまっておきたい。
お亀は小さな息を吐き出した。この頃、胃の調子が良くない。むかむかとして、ひどい吐き気がする。食は落ちる一方だ。村でひっそりと暮らしていた頃と違い、今は木檜藩主のただ一人の側室としてお城暮らしの身分になった。あまりにも環境が違ってしまったせいかと思ったけれど、月のものもずっと遅れていた。
最近、もしやと思う気持ちがずっともやもやと心でわだかまっていた。初めて嘉利に抱かれてからふた月、もしかしたら、自分は嘉利の子を宿してしまったのではないか。
嘉利はお亀の懐妊を心待ちにしているようだが、正直、お亀はその事実を受け容れるのは難しい。何故、御仏はこうも自分に苛酷な宿命をお与えになるのかと天を恨みたくもなってしまう。
好きでもなく、愛してもおらぬ男の子を身ごもった自分。しかもその子は陵辱を受け続けた何よりの証でしかない。嘉利のことを大切に思ってはいるけれど、その子を身の内に宿し、十月十日胎内で育て生むというのとはまた別の次元の話だ。
一体、自分はどうしたら良いのだろう。このまま嘉利の望むとおり、彼の許にとどまり、嘉利の子を生むのが良いのだろうか。それがたとえ嘉利を本当の意味で裏切ることにはなっても、多分、何かもかもがすべて上手くゆくためには最も望ましい道なのだろう。