鈴~れい~・其の三
でも、自分の心を偽り、見せかけだけの愛を示すことが、相手を本当に大切にすることなのだろうか。本当の想いを言えないのは、嘉利が怖いからではなかった。
―そなただけは俺から離れないでくれ。
そう告げたときの嘉利の眼があまりにも淋しそうで、辛そうだったから。
もう、それ以上、何も言えなくなってしまったのだ。
抱き寄せられるままに、お亀は嘉利の逞しい胸に頬を押し当てる。
嘉利の心の闇を知ってしまった今、以前のように憎しみだけを抱くことはできなくなってしまった。むろん、嘉利が親友を殺した憎い敵であることに変わりはない。それでも。
もう、憎しみだけを抱き続けることは難しい。だからといって、嘉利の求めるように、彼を男性として愛することはできそうにもない。
私のこの想いは、一体何なのだろう。
憎しみだけでもなく、愛しさでもなく、愛でも恋でもない。むろん、友情というのでもない。そう、敢えて名を付けるとすれば、長い間離れていた大切な人、家族に漸くめぐり逢えたような、そんな気持ち。たとえは悪いかもしれないけれど、出来の悪い、寂しがり屋の兄に妹が抱(いだ)くような、そんな気持ち。
だから、お亀は嘉利を放っておくことができない。助けてくれ、放さないでくれと差しのばされた手を振り払うことができないのだ。
「俺から逃げないでくれ」
落ちてきた切ない呟きに、お亀はそっと頷くしかなかった―。
寄り添い合う二人の脚許では、可憐な露草がひっそりと可愛らしい花を咲かせていた。
永遠の別離 ~無窮(むきゆう)~
その夜、お亀は二日ぶりに嘉利と膚を合わせた。
ひっそりと静まり返った閨の中は、深い湖の底を思わせる。その静けさの底で、衣擦れの音やあえかな吐息が妖しく官能を誘うように響いている。
嘉利の熱い唇がお亀の白い膚を這う。唇から、うなじへと、鎖骨へとその温もりはゆっくりと定められた道すじを辿り、やがて豊かに波打つ胸乳の先端を経て、へそのくぼみ、やわらかな腹部、更に淡い茂みの奥の秘められた狭間へと到達する。
「う、ぁ、ああっ」
お亀の桜色の唇から、かすかな声が洩れた。
膝を立てて開いた両脚の間に、男の頭が埋まっていた。下腹部に埋まった男の頭が動く度、お亀の奥から腰にかけて妖しい震えがさざ波のようにひろがる。その震えは、ゆっくりと身体中に拡散し、歓喜の波を呼び起こす。
女のやわらかな腹部に頬を押し当て、嘉利がくぐもった声で呟いた。
「ここに俺の子が宿るのは、いつのことだろうな。俺は早くそなたに子を生んで欲しいのだが」
うっとりとした口調で低く囁く嘉利の表情は夢見るかのようだ。
お亀の黒い瞳が情事の熱で潤んでいる。そんなお亀を嘉利は眩しげに見つめた。
「そなたは日毎に美しうなる。そなたのような女を得て、俺ほどの果報者はおらぬ。だから、そのような哀しそうな表情をするな。俺と一緒のときは、もう少しだけ嬉しそうに笑って見せてはくれぬか」
お亀は涙の雫を宿した瞳で微笑みを浮かべた。
「俺は幸せだ。そなたをこうして腕に抱いている瞬間が、俺にとっては至福のときに他ならぬ。しかし、何故であろうか。俺は、そなたをこうして抱いていても、膚を合わせていても、そなたがいつかふっとかき消えて、俺の傍からいなくなってしまうような気がする」
男の頭を滲んだ涙越しに見つめながら、お亀はその頭を両手で包み込み、そっと胸の方に引き寄せた。
この想いは、何なのだろう。昼間、庭で自らに投げかけた問いをもう一度、自分に向かって問いかける。憎しみだけでもなく、愛しさでもなく、愛でも恋でもない。ましてや、哀れみや同情ではけして。
愛しさに限りなく近い感情、それでも絶対に愛とは呼べない曖昧な、不透明なもの。
「女と過ごして、このような気持ちになったのは初めてだ。藤乃、俺はもう人は斬らぬ。そなたは優しい女だ。そなたが人をむやみに傷つけたり生命奪うのを嫌うのであれば、俺はもう無益な殺生はせぬと誓おう。そなたの哀しむ顔は見たくはないのだ」
顔を上げた嘉利が呟く。その誓いにも似た言葉は、お亀の心を衝いた。
―ねえ、あなた。私は今、やっと判ったような気がするの。あなたは、多分、前世では私の兄さんだったのかもしれなくてよ。もしかしたら、一緒に十月十日お母さんのお腹にいた双子だったのかもしれない。だって、私、あなたのことが懐かしくて、たまらない。ずっと逢えなくて、探していて、やっと逢えたような、そんな気がしてならないの。私たち、きっと、前の世では一つの魂だったのよ。それが、きっと二つに分かれてしまって、また、現世に一人一人の人間として生まれ出てしまったの。だから、私、あなたのことをこんなに懐かしいと思うんだわ。でもね、これは多分、恋じゃない。恋よりも、もっと切なくて優しくて哀しいもの。私はあなたのこと、ずっとずっと探してたような気がするけれど、私たち出逢った方が本当に良かったのかしら?
そう、今こそ漸く判ったような気がする。多分、嘉利と自分は長い間離れ離れになっていたもう一人の私自身。魂の片割れ。元々は一つの魂だったのが、神さまの気紛れか悪戯か、二つに分かれて遠く離れてしまった。
「何故か、そちが愛しうてならぬ。そちは死んではならぬ、藤乃」
嘉利と向かい合って座り、お亀はその屈強な身体に身を預ける。嘉利の膝に座り、どちらからともなく幾度も深く口づけた。
「愛している。藤乃」
〝愛している〟と際限なく愛の言葉を呟きながら、嘉利がゆっくりとお亀の中に侵入してくる。最初はゆっくりと抜き差しを繰り返していたのが、男の動きが次第に烈しくなる。
男に揺さぶられるままに、お亀は両手で男の髪を掴む。
―ねえ、あなた。もし、私があなたを愛してはいないと告げたら、あなたは私を生かしてはおかないでしょうね。それでも、私は良いの。私はたとえ殺されても、あなたを愛しているとは言えない。嘘を言えば、あなたを本当の意味で裏切ることになるから。でもね。私はこれだけなら、ちゃんと言える。あなたは、私にとって大切な人。あなたが私の哀しむ顔を見たくはないと言ってくれたように、私もあなたの苦しむ顔は見たくない。私の言ってることは矛盾してるのは判ってる。あなたを裏切りたくはないと言いながら、あなたに本当の気持ちを言えなくて、それでいて、あなたをこれ以上苦しめたくはないから、やっぱり、本当の気持ちを告げられない。私は、一体、どうしたら良いの?
やがて、嘉利の動きがいっそう烈しくなり、二人は一糸まとわぬ身体を絡み合わせたまま、深く繋がったまま、天の高みへと飛翔した。
「俺を怒らせるな、裏切るな」
嘉利の声が、耳許で聞こえた。
嘉利の逞しい身体を抱きしめながら、お亀は心の中で呟く。
―そなただけは俺から離れないでくれ。
そう告げたときの嘉利の眼があまりにも淋しそうで、辛そうだったから。
もう、それ以上、何も言えなくなってしまったのだ。
抱き寄せられるままに、お亀は嘉利の逞しい胸に頬を押し当てる。
嘉利の心の闇を知ってしまった今、以前のように憎しみだけを抱くことはできなくなってしまった。むろん、嘉利が親友を殺した憎い敵であることに変わりはない。それでも。
もう、憎しみだけを抱き続けることは難しい。だからといって、嘉利の求めるように、彼を男性として愛することはできそうにもない。
私のこの想いは、一体何なのだろう。
憎しみだけでもなく、愛しさでもなく、愛でも恋でもない。むろん、友情というのでもない。そう、敢えて名を付けるとすれば、長い間離れていた大切な人、家族に漸くめぐり逢えたような、そんな気持ち。たとえは悪いかもしれないけれど、出来の悪い、寂しがり屋の兄に妹が抱(いだ)くような、そんな気持ち。
だから、お亀は嘉利を放っておくことができない。助けてくれ、放さないでくれと差しのばされた手を振り払うことができないのだ。
「俺から逃げないでくれ」
落ちてきた切ない呟きに、お亀はそっと頷くしかなかった―。
寄り添い合う二人の脚許では、可憐な露草がひっそりと可愛らしい花を咲かせていた。
永遠の別離 ~無窮(むきゆう)~
その夜、お亀は二日ぶりに嘉利と膚を合わせた。
ひっそりと静まり返った閨の中は、深い湖の底を思わせる。その静けさの底で、衣擦れの音やあえかな吐息が妖しく官能を誘うように響いている。
嘉利の熱い唇がお亀の白い膚を這う。唇から、うなじへと、鎖骨へとその温もりはゆっくりと定められた道すじを辿り、やがて豊かに波打つ胸乳の先端を経て、へそのくぼみ、やわらかな腹部、更に淡い茂みの奥の秘められた狭間へと到達する。
「う、ぁ、ああっ」
お亀の桜色の唇から、かすかな声が洩れた。
膝を立てて開いた両脚の間に、男の頭が埋まっていた。下腹部に埋まった男の頭が動く度、お亀の奥から腰にかけて妖しい震えがさざ波のようにひろがる。その震えは、ゆっくりと身体中に拡散し、歓喜の波を呼び起こす。
女のやわらかな腹部に頬を押し当て、嘉利がくぐもった声で呟いた。
「ここに俺の子が宿るのは、いつのことだろうな。俺は早くそなたに子を生んで欲しいのだが」
うっとりとした口調で低く囁く嘉利の表情は夢見るかのようだ。
お亀の黒い瞳が情事の熱で潤んでいる。そんなお亀を嘉利は眩しげに見つめた。
「そなたは日毎に美しうなる。そなたのような女を得て、俺ほどの果報者はおらぬ。だから、そのような哀しそうな表情をするな。俺と一緒のときは、もう少しだけ嬉しそうに笑って見せてはくれぬか」
お亀は涙の雫を宿した瞳で微笑みを浮かべた。
「俺は幸せだ。そなたをこうして腕に抱いている瞬間が、俺にとっては至福のときに他ならぬ。しかし、何故であろうか。俺は、そなたをこうして抱いていても、膚を合わせていても、そなたがいつかふっとかき消えて、俺の傍からいなくなってしまうような気がする」
男の頭を滲んだ涙越しに見つめながら、お亀はその頭を両手で包み込み、そっと胸の方に引き寄せた。
この想いは、何なのだろう。昼間、庭で自らに投げかけた問いをもう一度、自分に向かって問いかける。憎しみだけでもなく、愛しさでもなく、愛でも恋でもない。ましてや、哀れみや同情ではけして。
愛しさに限りなく近い感情、それでも絶対に愛とは呼べない曖昧な、不透明なもの。
「女と過ごして、このような気持ちになったのは初めてだ。藤乃、俺はもう人は斬らぬ。そなたは優しい女だ。そなたが人をむやみに傷つけたり生命奪うのを嫌うのであれば、俺はもう無益な殺生はせぬと誓おう。そなたの哀しむ顔は見たくはないのだ」
顔を上げた嘉利が呟く。その誓いにも似た言葉は、お亀の心を衝いた。
―ねえ、あなた。私は今、やっと判ったような気がするの。あなたは、多分、前世では私の兄さんだったのかもしれなくてよ。もしかしたら、一緒に十月十日お母さんのお腹にいた双子だったのかもしれない。だって、私、あなたのことが懐かしくて、たまらない。ずっと逢えなくて、探していて、やっと逢えたような、そんな気がしてならないの。私たち、きっと、前の世では一つの魂だったのよ。それが、きっと二つに分かれてしまって、また、現世に一人一人の人間として生まれ出てしまったの。だから、私、あなたのことをこんなに懐かしいと思うんだわ。でもね、これは多分、恋じゃない。恋よりも、もっと切なくて優しくて哀しいもの。私はあなたのこと、ずっとずっと探してたような気がするけれど、私たち出逢った方が本当に良かったのかしら?
そう、今こそ漸く判ったような気がする。多分、嘉利と自分は長い間離れ離れになっていたもう一人の私自身。魂の片割れ。元々は一つの魂だったのが、神さまの気紛れか悪戯か、二つに分かれて遠く離れてしまった。
「何故か、そちが愛しうてならぬ。そちは死んではならぬ、藤乃」
嘉利と向かい合って座り、お亀はその屈強な身体に身を預ける。嘉利の膝に座り、どちらからともなく幾度も深く口づけた。
「愛している。藤乃」
〝愛している〟と際限なく愛の言葉を呟きながら、嘉利がゆっくりとお亀の中に侵入してくる。最初はゆっくりと抜き差しを繰り返していたのが、男の動きが次第に烈しくなる。
男に揺さぶられるままに、お亀は両手で男の髪を掴む。
―ねえ、あなた。もし、私があなたを愛してはいないと告げたら、あなたは私を生かしてはおかないでしょうね。それでも、私は良いの。私はたとえ殺されても、あなたを愛しているとは言えない。嘘を言えば、あなたを本当の意味で裏切ることになるから。でもね。私はこれだけなら、ちゃんと言える。あなたは、私にとって大切な人。あなたが私の哀しむ顔を見たくはないと言ってくれたように、私もあなたの苦しむ顔は見たくない。私の言ってることは矛盾してるのは判ってる。あなたを裏切りたくはないと言いながら、あなたに本当の気持ちを言えなくて、それでいて、あなたをこれ以上苦しめたくはないから、やっぱり、本当の気持ちを告げられない。私は、一体、どうしたら良いの?
やがて、嘉利の動きがいっそう烈しくなり、二人は一糸まとわぬ身体を絡み合わせたまま、深く繋がったまま、天の高みへと飛翔した。
「俺を怒らせるな、裏切るな」
嘉利の声が、耳許で聞こえた。
嘉利の逞しい身体を抱きしめながら、お亀は心の中で呟く。