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女郎花(おみなえし)

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私はもう、与作さんの知っているお里じゃありません。あなたのために操を守ることもできませんでした・・・・・・」
 お里の目から一筋の涙がこぼれる。それは化粧と混ざり合いながら、赤い襦袢を濡らした。
「お里・・・・・・、いいから、こっちへ来い・・・・・・」
 与作に促され、お里は床の脇へ座った。与作はため息をつきながら、何かを言い出そうとしているようだが、なかなか言い出せない。重い空気と時間が流れた。

「俺はな、明日、ご老中の酒井様のお駕籠に直訴するために国を出て来たのだ・・・・・・」
 ようやく与作が重い口を開いた。その顔をハッとした表情でお里が見つめる。
 当時、老中に直訴した者は駕籠先を乱す者として斬殺、いわゆる斬り捨て御免で処罰されるのが通例であった。そればかりではない。与作は国から関所を通らず江戸までやって来ている。これも死罪に値する行為であった。
 そこまでして直訴しようとする農民が後を絶たなかったのは、当時の領主の圧政がいかに酷いものであったかを物語っている。
 ちなみに与作が直訴しようとしている相手とは、時の勢力を牛耳り、下馬将軍とまで謳われた酒井雅楽頭忠清のことである。
「な、何故・・・・・・?」
 お里が震える声で与作の袖を掴んだ。
「お年貢の取り立てが年々厳しくなってな。このままじゃ皆、ツブレ百姓よ。誰かがやらなきゃならねぇ・・・・・・」
「だからって何も与作さんが・・・・・・」
「年寄りの足じゃ、すぐ追っ手に追いつかれる。俺は村で一番の早駆けだったからな。村の衆は隠し米を金に変えて持たせてくれた。それにお前を失った俺は、これ以上生きていたって・・・・・・」
 お里と与作は見つめ合った。
 お里は「直訴などしないで!」と喉まで出かかっている。誰も好いた相手が死ぬとわかっていて、みすみす見過ごすことができようか。
 与作とて、できることならお里を引き取ってやりたいが、それだけの金もないし、果たさなければならない使命がある。
「ああっ・・・・・・」
 お里が泣き崩れた。その肩を与作がそっと抱いた。
「俺にとっても、お里にとっても、これが最初で最後だ・・・・・・。だから、今夜は・・・・・・」

 不夜城のごとく明かりが灯り、喧噪が絶えない吉原の女郎屋の一室で、真実の愛を求め合う男女が絡み合っていた。