ベトンの棺
もちろんじいちゃん自身も死にたくはない。でももう駄目だと思うことも何度もあった。周りもみんな死んでいった。そうなってくると、どんなに安全なところにいても死ぬ時は死ぬし、どんなに危険なところでも死なないときは死なない。生死は時の運、どうせ死ぬなら、一人でも多く敵を道連れにして死にたいと思った。誰だって人なんて殺したくない。逃げ出したいと思うこともしょっちゅうだ。でも逃げられなかった。前線で戦っている兵士がみんな逃げたら、敵は女子供がいる日本本土に押し寄せる。それだけは絶対に許せなかった。ばぁちゃんのため、家族の為、村の皆の為、天皇陛下の御為(おんため)、日本の為…それらみんなまとめて、自分の為なんだ。日本人は自分の為には死ねないが、大切な誰かのためなら死ねるんだ。
南京(なんきん)…といってもおまえたちにはわからんだろうが、当時の中華民国の首都だ。そこを攻めた時だ。南京の前に、トーチカと言って、ベトンで出来た要塞に銃眼と言う穴があいているものがあった。中に人が入って、その銃眼から鉄砲を覗かせて撃ち敵を撃退すると言うものだ。お、ベトンもわからんか。今は…コンクリートと言うんだったか。
こいつが厄介な代物で、いくらこっちがトーチカに向けて弾を撃ってもベトンだから全く通用しない。誰かがこっそり近寄り、銃眼の小さな穴から、手榴弾(しゅりゅうだん)を投げ込むよりほかに手がない。手榴弾と言うのは…おおそれは知っているのか。男の子だからな。
しかし、どうやってトーチカに近づくかが問題だった。なにせ敵さんは鉄壁の守りの中、ただずっと撃っていればいいんだから。こっちは撃たれれば撃たれただけ傷を負い、死んでしまう。
もちろん南京前には、トーチカだけではなく、普通の兵士も沢山いた。
激しい戦いだった。
支那(しな)軍…中国軍のことだ。奴らからの銃声は昼も夜もなく鳴り続き、食料もとっくに底をついていた。味方も敵も、ばたばたと死んでいった。
それに、戦争に惨(むご)いも酷(ひど)いもないもんだが、支那軍には督戦隊(とくせんたい)というものもいた。
自分は戦わず、ただ逃げようとする自国の兵を殺すための兵士だ。
逃げる兵は狙い易い。怯えて逃げることに集中してしまうから。それを見てこちらが狙いを定めているいると、撃つ前に、督戦隊にダーンとやられてぱたりと倒れる。日本軍はみんな呆気にとられていた。士気に関わるのはわかるが、そうは言っても人間だ。情がないわけじゃない、その筈なんだが…儂は底冷えする思いだった。人間を悪魔に変える、これが戦争かと。
支那軍は秩序も酷くて…進軍していく中で、おまえたちには聞かせられないような酷いものも沢山見てきた。本当に…惨いことだ。
苦心の末、支那軍に撤退命令が出、やっと南京入場を果たせた。
おまえたち、「南京大虐殺」というものをこれから教科書で習うかも知れんが、あれは嘘だ。日本軍は誰も一般市民を虐殺などして居らん。そんなことをしたら軍法会議ものだ。なにより、実際に南京にいた儂が言うんだから間違いのあろう筈がない。
人は死んだ。確かに沢山死んだ。日本軍は支那軍を殺した。けれど、支那軍も沢山日本軍を殺した。それが戦争だ。日本が悪いのか。中国が悪いのか。いやきっと、戦争が悪いのだ。勝てば官軍(かんぐん)、負ければ賊軍(ぞくぐん)。買った方が正義になってしまう。中国が「南京大虐殺」なんてこと言いだしたのも、勝ったアメリカが原爆を落として大量虐殺をしたことを上塗りする、日本軍の「非情な大量虐殺」の話がどうしても必要だっただけだ。支那軍のしたことを、日本軍に被せただけだ。儂は死んだ戦友のことを思うと腹立たしくて空しいが、一番大事なのは、二度と、そう二度とこんなことを繰り返してはならないと言うことだ。
おお、すまなかった。おまえたちには少し難しかったか。
もう少しだけ、聞いててくれんか。
儂はな、日本から離れた南京、そこで戦争を見た。
戦争のなんたるかを見たのだ。
数日前は唸りをあげて日本軍を苦しめていた筈の、トーチカも全て沈黙していた。
トーチカの中に入ろうと思ったが、開かない。
中に人が入って撃つのだし、開かないわけはあるまいと見ると、入口に外からぐるぐると鎖を巻いて鍵がかけてあった。中から、扉があかないように。
儂は一瞬、どういうことなのか意味がわからなかった。
鎖を解いて中に入ると、三人の支那兵が折り重なるように死んでいた。
混乱したまま、次のトーチカを覗いた。
今度は入口に鎖はなかった。かわりに、鎖は中にいた支那兵の足にあった。もう物言わぬ彼の足を、固く床とつなげていた。
それを見た時に、儂は悟ったのだ。これが、戦争だと。
弾を撃った後に出る薬莢(やくきょう)は死体が埋まる程山と積み上がっていた。撤退命令が出ても、彼は逃げられるわけもなかった。冷たく暗いベトンの棺(ひつぎ)の中で、ただ弾を撃つだけのものとして、入れられたのだ。
自分で入ったのか、入れられたのか…。
儂は泣いた。戦争に来て初めて泣いた。後ろから覗き込んだ戦友も泣いていた。肩に手を置かれたが振り返れなかった。
これが戦争と言うことだ。優しさも思いやりも愛情も命も何もかも根こそぎ奪い去ってゆく。死んでいる青年は当時の儂と同じぐらいの年齢で、まだ若かった。親もいるだろう。妻もいるかもしれない。平和だったら、失われなくていい命だ。笑って生きていられたはずなのに。
儂は、終戦後、苦労して日本に戻った。幸せなことに、ばぁさんは空襲でやられもせず、儂も五体満足で会えた。
おまえたちには、これから儂が言うことは、まだわからないだろう。
もしかしたら、一生わからないのかもしれない。これは戦争を体験したものにしかわからないことなのかもしれない。
ただ、二度と悲劇を繰り返さないためにも、これが本当に起こったことで、たった60年前の話だということを、忘れないでほしい。
戦争が起これば、再びくるであろう近い未来のことだということを、おまえたちは、絶対に忘れるな。
何年経っても、何十年たっても、儂はあのトーチカを思い出す。鎖が食い込んだ足は、いくら消そうと思っても消す事が出来ない。
暗く、じめじめと蒸すトーチカの中で、死を定められた青年は、唯一の光源から波と押し寄せる日本軍を見てたったひとり、何を考えたのだろうか。
儂は戦争の本質が、あのトーチカの中にある気がしてならないのだ。
あの、ベトンの棺の中に。