ベトンの棺
あとがき
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。
少々物議を醸しそうな事を書いてしまいました。
「ベトンの棺」は、できるだけ戦争のことをあまり知らなそうな若い方にも読んで頂けるよう、老爺が孫に語りかけると言う文体で書かせて頂きました。
私は、戦後の生まれです。読んで頂いている方も、ほとんどがそうだと思います。戦争を経験していない世代。
戦争というものが身近ではない、全く知らない、「日本でも戦争があった」その言葉しか知らない。その言葉が示す意味を知らない。
私も勿論経験してはいません。幸せなことです。でも、戦争の歴史を忘れつつあることは、決して幸せなことではありません。
忘れられた歴史は、繰り返すからです。
私のまわりも、戦争なんて知りません。知らないのはしょうがないです。でも、「知ろうとしない」のは、悲しいなと思います。
日航ジャンボ墜落事故、知らない人がいるんです。チェルノブイリ原子力発電所の事故も、福島の事故で知られるようにはなりましたが、その前は私の友達も知らないという子いました。私がアウシュビッツに行ってきたと言ったら、それって何?と聞きかえす人が、大学で社会の先生目指してるんですよ。世も末です。
人間は失敗から学ぶから、悲しみを繰り返さないようにできると思います。近くや自分の生活にかかわることだけじゃなくて、もっと大きなことに目を向けて頂くのに、この小説が切っ掛けになれたらとの思いで書きました。勉強不足も勉強不足で、経験した人からみたらぶん殴られそうな文ですが。
勿論、気楽にいち小説として読んで頂いてかまいません。ふーんという感じでも、目を通して頂けることが嬉しいのです。なるべく沢山の方に抵抗なく読んで頂けるよう、血といった表現を使わずに小説とリアリティの折り合いを兼ねて書かせて頂きました。
また、トーチカ(南京)か戦車(インド?)か迷いましたが、トーチカの方がイメージが近く、南京にしました。題名も、「戦車の棺桶」の方が語呂がいいかなぁと思ったりしたのですが、「60年前の戦争」「冷たいイメージ」を出したかったので、コンクリートを採用しました。
先の戦争で亡くなられた方のご冥福と、これから二度と悲しむ人が出ないように祈って、筆を置かせて頂きます。
50まい