白月と源造じいさん
「これはわしの酒の肴なんじゃが……。まぁ、いいわい。全部お前にくれてやるわい」
そう言うと、源造じいさんは魚籠の中のイワナを全部、熊にあげました。
熊はイワナを全部たいらげると、源造じいさんに顔を近づけ、ペロペロと源造じいさんの顔を嘗めました。
「こりゃ、くすぐったいぞ」
思わず源造じいさんも笑い出しました。源造じいさんにとって、心から笑うことなど久しぶりでした。
もう何年も会っていない孫と会っても、笑えるかどうかわからないと自分では思っていました。
しかし、かつては撃ち殺す相手だった熊と心を通わせ合うことが出来て、源造じいさんの殺伐とした心は潤っていくのでした。
源造じいさんはこの熊に「白月(しらつき)」という名前を付けました。胸元にある白い三日月形の模様が鮮やかだったからです。そう、この熊は本州に生息するツキノワグマなのです。
「じゃあな、白月。また、明日来るからな」
そう言って、源造じいさんは川を下ろうとしました。ところが熊が後から着いてきます。
「こら、着いてきちゃだめだ。山へ帰れ」
源造じいさんが白月に向かって小石を投げながら言いました。
白月はしばらく何か言いたそうな目で源造じいさんを見つめていましたが、やがてノッソリと後ろを向き、薮の中へ消えて行きました。
それからというもの、源造じいさんは毎日、谷川に行って白月と会いました。白月も源造じいさんが来ることをわかっていて、ちゃんと待っているのです。源造じいさんは釣ったイワナやおにぎりなどを持っていきました。
白月は源造じいさんの横に座り、気持ち良さそうに居眠りをするのです。確かに白月の身体は大きかったのですが、源造じいさんの横でうつ伏せで座る姿は可愛らしくもありました。
こうして何日が過ぎたでしょう。やがて山の葉が色付き始めました。
「いくら源造じいさんの頼みでも、それだけは聞けねぇ」
「そこを何とか頼むよ。わしとあんたの仲じゃないか。この通りだ」
「禁漁期は都道府県で決められているんだ。源造じいさん一人だけ特例を認めるわけにはいかないよ」
イワナ釣りには決められた期間があります。その期間だけ釣ることが許されるのです。それ以外の期間は禁漁期と言って、イワナを釣ることは出来ません。