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白月と源造じいさん

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 マタギを辞めた源造じいさんはイワナ釣りが大好きでした。その技は名人と言ってもいいでしょう。それに川の流れを見ていると不思議とワクワクしてくるのです。
 どれほど谷川を上ったでしょうか。ある淵に源造じいさんがたどり着いた時、ちょうど薮がガサガサと動きました。この時、源造じいさんの鼻はマタギをしていたころの鼻に戻っていました。
(これは、熊の匂いじゃ!)
そして藪の中から大きな熊が出てきたのです。
 熊も源造じいさんも一瞬、ハッとしたような顔をしました。
 しかし、すぐに熊は唸り声を上げ始めました。どうやら源造じいさんを敵と思って襲いかかるつもりのようです。
 源造じいさんも負けてはいません。かつてはマタギとして沢山の熊を仕留めてきた強者です。鋭い目で熊を睨み返しました。ただ、今の源造じいさんには銃がありません。丸腰です。ここで襲われたらひとたまりもないでしょう。
「おらはお前らとはもう争いたくねぇ。さぁ、引き返すんだ」
 源造じいさんが熊を睨みつけながら言いました。しかし、人間の言葉が熊に通じるはずもありません。熊は鼻息を一層荒くしています。
 源造じいさんは思いました。
(今まで生活のためとは言え、沢山の熊を撃ち殺してきた。もし、今、目の前にいる熊がかつて殺した熊の子供だったら、おそらく自分を許してくれないだろう)
源造じいさんは自分が熊の立場だったら、と考えました。
 源造じいさんは生唾をゴクリと飲みました。
「そうだ!」
 その時、源造じいさんが何か思いついたようです。
 源造じいさんは魚籠の中のイワナを一匹、手で掴むと、熊の方へ投げました。
 すると熊はフンフンと匂いを嗅ぎ、イワナを前脚で押さえながらムシャムシャと食べ始めたではありませんか。
「うまいか? もっとやるぞ」
 源造じいさんは更にイワナを投げました。熊は夢中でイワナを食べ続けます。
 そんな光景を源造じいさんは少し大きめの石に腰掛けながら、目を細めて眺めました。
「こうして眺めてみると、熊って奴は案外と可愛いもんだな」
 熊が源造じいさんに擦り寄ってきました。さすがにその時は源造じいさんもびっくりしました。何せ二メートルを越す巨体が近づいてくるのですから。でも、その目は優しく、どこか甘えているようでした。どうやら、魚籠の中のイワナをおねだりしているようです。
作品名:白月と源造じいさん 作家名:栗原 峰幸