太嫌兎村
高見沢一郎、それはそれなりのサラリーマン。
お年はと言うと、あらまあ、いつの間にか幾年月の春秋を重ね、アラフォーを越えてしまった。
そして、御年に至るまでの生き様は順風満帆であったとも言えるし、波乱万丈でもあった。
その節々では随分乱れたこともあった。
しかし、その折々でいろんな経験をしてきた
だが、あれほどまでに摩訶不思議な出来事に出くわしたことはなかった。
一生拭(ぬぐ)い去れないあの光景。
それは別段恐怖に満ちたものではない。そして、神秘的過ぎるものでもない。
ただ日常生活の喧騒さを越え、心をどーんと落ち着かせてくれるほのぼのとした出来事だった。
さらに、もし付け加えるならば、勇気を与えてくれたハプニングだったとも言えるのかも知れない。
それにしても、日本のサラリーマンはなぜこんなに忙しいのだろうか。
満身創痍(まんしんそうい)ながらも、粉骨砕身(ふんこつさいしん)の日々。
働いても働いても、大きな邸宅にゆったりと住める保証はまずない。
忙しさと年収。それらは決してリニアな相関でリンクはしていない。
それが世間の労働と報酬の定理なのだ。
されどサラリーマンたちの悲しい性か、ただひたすらに会社のために働き続ける。
高見沢一郎もその例外ではない。
実に一所懸命。
時にはアグレッシブ(攻撃的)に、そして時にはコンサーバティブ(保守的)に生きてきた。
しかし、最近のビジネス世界は――八大地獄――。
その厳しさの中で、高見沢も時としてストレスで押し潰されそうになる。
こんな状況下にあって、高見沢は気晴らしにと、時たま日本海へと愛車を走らせる。
物語はそんなところから始まった。