カクテル
美しい色合いとえも言われぬ豊かな香り。口に含むや否やまるでオセロゲームで大逆転を成した時の様に身体中の細胞が活性化の方向へパタパタと裏返って行く様な快感を覚えるのだ。
ざわざわとした喧騒の中、丁度空いていたいつものカウンター席に座ると、いつものように何も言わないうちに最初の水割りが置かれた。
薄めに作られたソレをゴクゴクと飲み干し、一旦置いたグラスを顔の高さに持ち上げて合図を送る。
次にこちらに来たときには少し濃い目の水割りを俺の前に置いてくれるはずだ。
それにしても落ち着かない。
元々無口な俺は空いていて静かなこの店を気に入っていたし、他の客もどちらかと言うとそうなのだと思っていた。
俺が水割りを舐めながら少々居づらい思いで店内を眺めていると、突然何かが視界を遮った。
「となりに座っても宜しいかしら?」
グラスを持った美しい女性はこの店で何度か見かけた事の在る、長い髪が印象的な人だった。
「どうぞ……」
俺は思わず崩れそうになる顔を無理やり固まらせて、可能な限り渋めに返事をした。
聞けば彼女も以前から俺の事を知っていたという。というより俺を意識していたみたいだった。
気分をよくした俺はついつい喋り過ぎ、飲み過ぎてしまった。
そして〆には例のエマージェンと命名されたカクテルが――。
このカクテル、口当たりがよく、どんなに酔っていてもスルリと入ってしまうが、体調によっては後でかなり効いてくる。
一度マスターにこのカクテルの名前の由来を聞いた事がある――。
「これを飲むとつまらない日常から脱出できるとでも言うのかい?」
「まあ、そんなところですよ」
マスターはあやふやな返事をしただけで、答えてはくれなかった。もちろんそのレシピも……。