無効力恋愛
「判ってんなら関わるなよ。こんな馬鹿企画。万が一、陸上の方に差し障ったら、あんたどうするんだ!」
理人は止めた。が、効き目はなかった。考えが足りないというより、十貴は理人が思うよりも、自分の友人連中を信用しているようだった。―――こんなカスみたいな理由で、停学喰らうほどのへぼだったなら仕方ない―――十貴は悪態にも似た台詞で、それを示した。
「哀れだから名前くらい貸してやる。俺のために活動カモフラージュしろよ。必死でな」
そう言う十貴の笑顔は眩しくて、理人は何も言えなかった。
2/
陽が落ちても、暑さは引かない。重たい空気がじっとりと皮膚に張り付いた。整形外科院から出た十貴は、暗い空を見上げた。きっと夜中に一雨来る。
腰のポケットから携帯を取り出すと、メールが二件届いていた。一つはクラスメイトから課題の確認。もう一つは理人からだった。
件名【病院が終わったら】
本文【コンビニはローソンがいいと思うよ】
「あぁ?」
十貴は思わず声をあげた。通りがかりの女子高生が二人、怪訝な目を送る。十貴は携帯をたたむと地べたに置いていたスポーツバッグを掴み、最寄のコンビニエンスストア目指して歩き始めた。
すっかり夜だというのに、普段より人通りが多いのは、やはり季節柄か。飴色の光の街を十貴はゆっくりと進んだ。左足首に微かに、だが確かに鈍い痛みがある。今日の練習で少し捻ったのだ。酷く挫いた訳ではないが、大事をとるに越したことは無い。十貴はインターハイの出場権を、既に得ている。
コンビニの前には褐色の肌を露出した少年少女が集っていた。一体こいつらは冬の間何処に隠れていたのだ。少女の足元を飾る、一〇?はあろうかというヒールに妙な感心を覚えながら、十貴はコンビニのドアをくぐった。
絶え間なく喋る少女達の視線が、一瞬自分に集中したことには気付かない。
明るい店内を見回すと、案の定、奴はいた。雑誌コーナーで立ち読みしている背の高い横顔。
「英(エイ)、」
呼びかけると、理人は読み掛けの雑誌から顔を上げ、十貴のほうを振り返った。
「女って凄いな。俺ならあんな靴で絶対走れない」
挨拶も説明も無く、十貴は今考えていたことをそのまま口にする。理人は二秒ほど考えていたが、店の外を見て、察したようだった。
「女の子はそんな靴で走らないと思うよ」
「そうか? よく駆け込み乗車してるけどな。そんなことより、何、あのメール」
「ここにいるって、ちゃんと通じたろ?」
「何で俺が病院行ったって知ってんだよ」
足を捻ったこと自体、コーチと部長にしか伝えていない。十貴がコーチの車で学校を出たのが七時過ぎ。映像部の面々は疾うに帰宅している時間帯である。理人が何処から十貴の怪我のことを嗅ぎつけてきたのか、全くの謎だった。
「買い物に出てきたら、偶々あんたが病院入るのが見えたんだよ」
「三十分も待ってたのかよ? なんだ、出待ち? ストーカー?」
「まあね」
理人の手が十貴の荷物を取った。まさかそのためだけに待っていた訳でもないだろうが、十貴は素直に好意を受けた。
制服姿の十貴と違い、理人はTシャツとジーンズに着替えている。ラフな服装の上からでも判る、均整の取れた、恵まれた体格の持ち主だ。十貴も日頃から鍛えているが、体質的なものか、完成度においてはやや劣る。理人の身体は十五の頃にはほぼ完成していた。その肉や筋の在りかたは十貴には理想的なものだった。
理人は高校進学と共に走るのを辞めたが、体型が崩れた様子はない。現在も、身長、体重、肩幅、全てにおいて、理人のデータは十貴のそれを上回る。現役の十貴からすれば忌々しい話だが、無論それは言い掛かり以外の何物でもなかった。
「歩いてて平気?」
足の包帯は、まっとうに靴を履くには少し厚く、十貴のスニーカーは踵が潰れていた。
「二、三日は安静に、全治一週間ってとこ。どうせ期末で部活休みになるしな」
言いながら十貴はドリンクの前に移動した。理人は鞄を持ち、後からついて来る。
歩くことは出来るが、こうなってみると通学が面倒だ。家から地元の駅まで徒歩で約十五分。降車駅から学校まで十五分。普段ならなんでもないが、足を引き摺りながら歩くには少々きつい。送り迎えを頼みたい気分だが、大学で社会学科の教授などしている父の出勤時間は曜日によってまちまちで、出勤のついでに乗せてもらうというのは難しかしい。一方の母はペーパードライバーだ。とても頼めない。バスも無いことは無いが、酷く迂回することになるので面倒に違いはなかった。
「送迎しようか。自転車で」
十貴の思考を見透かしたように、理人が言った。
「お前がぁ?」
「チャリで行けない距離じゃないし。下手に歩いて悪化したらやばいんじゃないんですか、インハイ選手」
「二人乗り(2ケツ)で朝から捕まってらんねーよ」
「そんなマヌケじゃないって。大体こないだも俺が置きチャリしたら後ろ乗るって言ってただろ」
交通違反で捕まるのに個人の特性は関係しない。十貴はこれでも遠慮したつもりだった。相手が十年近くの腐れ縁であり、恐らくは一番親しい友人の理人だとしても、そこまで迷惑を掛けるのは気がひける。
飲み物を買って店を出ると、件の自転車が止めてあった。盗難の多い繁華街に無施錠で放置していても無事だろう、年季の入った一品である。色の剥げた籠に理人は十貴の鞄を無理やり詰め込む。
「ほら、とりあえず乗りなよ怪我人」
「お前ママチャリ似合うな」
褒め言葉には微妙な台詞を吐き、十貴は後ろに跨った。三段ギアを最速にした自転車は、思いのほか安定して進む。十貴はバランスを取りながら、つま先を遊ばせた。運ばれるのも悪くは無いが、前が見えないので落ち着かない。
「十貴―――、」
街を抜け、群青色の夜を走りながら理人が呼ぶ。
普段理人は十貴を白宮と呼ぶが、学校外では時々名前で呼んだ。その使い分けは十貴にはどうでもいい。
ファン、と音をさせ、傍の線路に電車が滑り込んでくる。闇に浮き上がる車窓の人影はまばらだ。車両が全て行過ぎるのを待って、理人は続けた。
「陸上部って文化祭なんかするの?」
「去年はかき氷売ってたけど、氷準備すんの面倒なんだよな。氷かき手動だしさ。なんだよ唐突に」
「映像部(うち)も発表展示しろって言われた」
十貴は盛大に吹き出した。
「そりゃそうだ。で、なにすんだよ。一日エロビデオレンタル店でもするの?」
「発想が安達と同じで心強い。連帯責任であんたのとこまで火の粉飛んでもいいならソレもアリだね。何をどーするか考えるから、一応ミーティング顔出してって、部長から伝言」
「平井も大変だな。お前いつもなんか撮ってんじゃん。それ出してやれば」
「ッ……! 別に俺はなにも……なんで?!」
「なんでって何が。お前しょっちゅうカメラ弄ってるだろ。写真でも撮ってんじゃないの? 真面目な部活動の一例として」
「ああ……あれは別に……」
なにやら言い訳めいたことを、理人は口の中でつぶやいていたが、風がうるさくて聞こえない。どこかの草陰から蛙の声がする。
十貴の目の前のシャツが汗で滲んできた。
「英(エイ)ー、疲れた? 汗かいてるぜ」