無効力恋愛
理人はまた人の入ってくる気配に気付かなかった。
「俺ほどじゃないって、安達、いつからいた?」
武辺も安達の入室に気付かなかったようだ。
「でかい声でイエスだかノーだか、お前が意味不明なことほざいてんの、購買まで聞こえたし。武辺さんマジ怖ぇ。もう敬称つけちゃうね」
購買部は三号館と二号館の間の、渡り廊下にある。パチンと音を立てて、安達が割り箸を割った。スープの匂いが教室中に広がる。塩豚骨味平打ち麺。濃厚な香りにそそられる。
「いーや、この上なく判り易いね。そのままだろ」
武辺は悪びれるどころか恥らう様子もない。判らなかったら必死で考えろ。思考を惜しむなよ。言いながら安達の手元から箸を奪い、一口食って文句をつけた。「俺は細麺さっぱり派だね」
安達が憤慨してカップ麺を奪い返したとき、ガラリと音を立てて戸が開いた。今度は全員が気付き、動きを止めてドアを注視した。
「っ……と、珍しくいっぱいいるなあ」
入るなり注目を浴び、入室者は若干怯んだ様子を見せた。部長の平井である。左手に藁半紙の冊子を持っている。冊子には、《20※※度 麗稜祭実行委員会》と記されていた。
十貴、理人、武辺、安達、平井。この五人が栄えある映像部の全部員だ。限りなく愛好会に近い状態で、顧問すら他部との掛け持ちである。
顧問の坂崎教諭が掛け持っている地学部は、映像部と同じく少人数ではあるものの、実に真面目に、天体観測や地質調査といった活動をしていた。理系教師であるところの顧問・坂崎は、よって地学部に肩入れしており、映像部は実質野放し状態である。それは部員の望むところでもあった。
「武辺までいるなら丁度いいや」
平井は持ってきた冊子を三人の前に置いた。
「文化祭。どうするのかって」
文化祭は文化部の晴れ舞台だ。何かしら、活動の軌跡を発表しなければならない。昨年は発足から文化祭まで三ヶ月と間が無かった為、見学が認められた。だが今年はそうは行かない。
発表できるものが無ければ、一年近くも、この第二視聴覚室を占拠し、機材の使用許可まで取りつけて、何をしていたのだと問われることになる。余計な詮索を避ける為、それなりの形での回答を示さねばならない。
活動。それは映像部のネックだ。何もしていない訳ではない。ないが、四人は押し黙った。三人は考えを巡らせるために。一人安達はラーメンのスープを啜るために。
「……考えなくとも、それらしいもん作って、それらしく出しときゃいい話だろ」
口元を拭いながら、安達は気軽に言い放つ。
「バスケ部は? 何かすんの?」
尋ねながら安達が差し出したカップ麺の残骸を、武辺は嫌そうに突き返した。
「うちは例年通りの焼きそば屋。忙しいのなんて当日くらいだな。俺は」
「じゃあ学祭関係では武辺、映像部(こっち)の子ね。ちゃんと働いてもらおう。捏造したり設営したりがあるんだから。陸上(しろみや)はどうすんのかなぁ……」
武辺の身の振り方を勝手に決定しながら、平井は理人を見た。意図を察して理人は首を振る。十貴からは何も聞いていない。そもそも文化祭のことなど、まだ頭にもないだろう。
「じゃ、白宮も呼んで一回ミーティングだ。ぶっさん伝えといてくれる? 陸上部って木曜休みだっけ?」
十貴が視聴覚室に顔を出すことは滅多にない。普段の帰りも遅いので、家の近い理人はすっかり連絡係の扱いだ。全員がお互いの携帯番号もアドレスも知っているのだから、伝言を頼まずとも、この場で十貴の携帯にメールを入れれば済む話なのだが、理人はそれを指摘しない。
「……実際の活動に際してなら、俺もいくらでも書けるけどね、AV&B級映画レビュー。本作ってやる」
ケケケと笑う安達を理人が睨む。それこそが、映像部発足の原因にして、弱点だった。
「そんなことされてたまるかよ。常日頃、俺と平井がどれだけ隠蔽に神経すり減らしてると思ってんだ」
「そりゃ性分だろ」
安達はしゃあしゃあと言い放つ。
「……!」
「高校じゃなく大学だったら、その企画でイケたかもしれないけどね」武辺が肩を竦めた。
「痛い腹、探られるのがオチだぜ」
「一応、最初に提出した活動目的には沿ってるはずだぜぇ。映像作品鑑賞。まあ、アレだ。無難に写真でも撮って貼っとくか?」
平井が首を横に振った。
「それもアリだけど、それだけじゃちょっと弱い。さっき文化部会で先生に言われてきたんだよ。ビデオデッキやらDVDプレーヤーやら使ってんだから、学祭では自主映画でも見せてくれんのかって。再生機借りてるだけで、どーして映画が出来ると思うんだ。したら、遊んでるだけかって。笑って誤魔化したけどさあ……あれ、作品展示しろって圧力だったよ」
どっと疲れたと、ため息を吐いて肩を落す。
「事務的な面倒は俺、するけどさ、こういうときは真の部長、頼むよ。いい案考えてよ。」
そう言って平井は安達の肩を叩いた。
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一年前、
「部活つくらねえ?」
安達がそう言ったのは夏休みとは名ばかりの、夏期講習の最中だった。
私立一稜高等学校は、県下有数の進学校だ。一学期の終業式は七月二十日だが、七月いっぱいは講習が予定されていた。一日4時限。内一、二時限目は教師が教壇に立っての強化講習。終業式にレジュメが配られ、生徒は普段の教室を移動して、受けたい講習を選んで受講できるようになっていた。残り二時間は自由学習に充てられる。内容は復習半分、来学期の予習半分で、予習分の時間イコール通常授業だった。
実質強制参加の色合いは濃かったが、《成績の如何に関わらず、原則として自由参加》を謳ってはいるので、正当な理由があれば、欠席は認められた。慶弔、部活動での大会参加。それに伴う特別練習。進学塾の特別講習に申し込んでいる。などなど。
或いは、登校時間が無駄だ、自分で勉強した方が効率がいい、学校は無能だ。こういった主張も、発言者の成績が見合えば一応は認められた。
「正当な欠席理由」のいずれにも関わりがなく、さりとてサボるほどの欲求もない安達と理人は、蒸し暑い教室で机を前後に並べていた。二人は、この高校内では数少ない、中学からの友人同士だった。
教室にはぽつぽつと空席が目立ったが、割合、皆真面目に参考書を広げている。グループ学習は推奨されているので、多少の私語は許された。
「いきなり何を………」
理人は面食らったが、安達はいつに無い真面目さで語った。
「ある筋からの情報なんすけどね……。二学期から、学校方針と生徒会方針と、学校経営方針の都合で部活が強制になるようなんすよ」
「ありえないだろ」
取り合わない理人に安達は食い下がった。
強制とは言わなくも、学校側がもっと部活動に力を入れようとしていること。生徒会からも予算が割かれるらしいこと。文武両道、獅子の如く遊び僧の如く学べ、がスローガンになるらしいこと。
「僧って、」
「ともかく丁度いい時期なんだよ。五人集まれば部活として申請できるし、学校側も事始めなら監査が甘くなる。活動費なんてちょっとでいいって言えば、通るだろ。やろーよ。部活で青春弾けようよー」
安達は身をくねらせた。