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無効力恋愛

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これが、カメラの元々の持ち主である教師の目に留まり、新聞社から賞など貰うことになった一枚だ。ずぶの素人が撮ったにしては、上手く出来ていると、自分でも思う。ビギナーズラックというやつか。スポーツ写真は運が占める割合も高いらしい。勿論プロの世界がそれだけである筈もないが、理人のこれは、まさに幸運のみで撮れた写真だろう。横たわったまま、暫く眺めて手を放した。
 写真は、もと入っていた袋の上に落ちた。無沙汰になった指をシーツの上に投げ出す。
 一枚の写真が、紙の上には残らない様々な感覚を、理人の脳から引き出した。記憶を辿る行為は、より生々しく、それを理人の皮膚に蘇らせる。
指を握った。恐ろしいことに、抱きつかれた重みが、なによりリアルに残っている。走り終えたばかりの十貴の鼓動は速くて、体温は高かった。
鼻の奥がつんと痛む。血の巡りが速い。
勢い良く飛びつかれて、最初に何を言われたのかは聞き取れなかった。聞こえたのは「ありがとう」の言葉だ。応援してくれて。練習に付き合ってくれて。続く言葉はそんなところだろう。
その素朴な言葉が、反射的に抱きしめ返そうとしていた、理人の腕を躊躇わせた。
握った掌を、また開く。
この手を十貴の肩に置いて、ひっついた身体を放させ、ようやく理人はおめでとうと言った。十貴は嬉しそうに笑う。なんの衒いもない、晴れやかな笑顔が、眼に眩しかった。背に腕を廻すことは出来なかった。『出来ない』と思い、躊躇った、そのこと自体が既に理人から抱き返す資格を剥奪していた。理人はそう、自分自身を断じた。
それは確かに一つの転換点にだった。いつからか理人のなかに胚胎していた、腐蝕の種の萌芽。
仰向けに寝転がって、暫く天井を眺めた。
十七年間、変わらずそこに在ったはずのそれが、今日は見知らぬもののように映った。文字を凝視していると、そのアウトラインが酷く奇異なものに感じられることがある。そんな錯覚に似ている。
 何の変哲もなかったものが、ある日、唐突にすがたを変えてしまう。実際には、対象物は以前と変わらず、在るがままそこに在り、変質してしまったのは自分自身だ。
この場合の戦犯は、脳か、身体か。
寝返りを打ち、横向きになって、片手でベルトのバックルを外した。写真が引き出す記憶は毒入りだ。蘇らせられたささやかな皮膚の記憶は、砒素のように理人の身体を侵食した。腕を廻された首の辺りから膚が粟立つ。密閉された部屋の中、布の擦れる音が嫌に大きく、耳につく。

十貴と理人は小学校から一緒で、家も近くてよく遊んだけれど、十貴は昔から、方向音痴の癖に列の先頭を歩きたがるようなタイプだった。しかも、後ろに誰もいなくなっても気にしない。
十貴と理人は小学校から一緒で、家も近くてよく遊んだけれど、十貴は昔から、方向音痴の癖に列の先頭を歩きたがるようなタイプだった。しかも、後ろに誰もいなくなっても気にしない。
理人は、まあ優等生と言える部類で、よく班長役などを任せられたが、リーダーシップをとるのは得意ではなく、右に倣えと言われれば「そんなものか」と納得してしまう性質だった。そんな理人にとって、十貴の性格は驚きであり、心配なものでもあり、少し憧れるものでもあったのだ。成長してからも、世話が焼けるなどと言いつつ、十貴と一緒にいるのは、面白くて楽だった。
憧れだけならいい。十貴の性格は理人には無いものだし、走っている姿を綺麗だと思うのは罪ではない……と思う。格好良いと思う。
 それだけで良かったのに。

陽は殆ど落ちてしまった。
理人はもう、自分が何処かで何かを間違ってしまったことを自覚していたし、その修正が容易でないことも知っていた。
暗い部屋の中、荒い呼吸だけが途切れずに続く。

十五歳の夏休みは駆け足で去ってしまった。部活を引退して、あとは受験勉強一色の日々。
理人は夏の間に自覚した、自分の幼い憧れと独占欲を、気に病んでばかりいた。親友の勝利を純粋に祝えなかった自分は、最低だと思った。
だが気にかければかけるほど、理人の眼はその対象ばかりを追った。十貴が笑った。十貴が頬付えをついた。十貴が誰かと喋った……馬鹿みたいだ。十貴は今までと、何一つ変わらない。
おかしいのは理人。
おかしいのは俺だけ。
久しぶりに部活行こう。十貴がそう言って理人を連れ出したのは、全国模試の終わった午後だ。部室には誰も居なかった。後輩達はグラウンドに出てそれぞれのメニューをこなしている。二人はまだ若干の私物の残る部室に行った。三畳半ほどの狭い部屋は、壁紙に汗と埃の匂いが染み付いている。十貴の手にはいつの間にかジャージが握られていた。
走るのかと尋ねると、十貴は当然だという顔をした。そんなの一人でやってくれ、そう言いはするものの、流される。渋々自分のジャージを取ってくると、十貴が笑いながら言った。
――お前のそーゆーとこ、だいすき
半分馬鹿にされているようなものだが、そんな言葉に擽られる、自分の自尊心の安さに失望する。我ながら随分簡単なつくりだ。運動着から顔を出すと、盛大に、何かが散らばる音がした。振り向くと十貴が小銭をぶちまけて、半裸のまま、床に這い蹲( は   つくば)っていた。
残暑の厳しい日だった。
 突然、頭のなかの螺子が飛んだ。

 この、
目の前にある白い背中を壁に押し付けて噛み付いてやる羽根でも生えているんじゃないのか脚を掴んで折り曲げて開いて割り込んで滅茶苦茶してやる無理矢理でいい無茶苦茶に泣けばいい。

 「……っ」
 呼吸(いき)が上がる。背を丸めてながら、いっそう速く手を行き来させ、眼を瞑る。

――英! 足どけろ! 
 脛を叩かれて正気に戻った。
 ……今のは、なんだ。おれは――
酷く鼓動が速い。叩くように流れる音が耳に響く。自分の身体が動くのを他人事のように見ていた。ギクシャクとした動きで下を向く。足元に百円玉が落ちていた。
十貴はそれを拾い上げ、制服のポケットに戻した。財布は持っていないのだ。理人の様子に気付くこともなく着替え、部室のドアを開けた。
 ――ほら、はやく行くぞ
 逆光で表情は良く見えない。それは何かの暗示のようだった。いつも十貴は光の中にいる。理人はそれを見ている。眩しくて見えなくとも。
部室の暗がりの中から、先に行っていてくれ、と、理人にはそう言うのがやっとだった。口の粘膜が乾涸びている。一瞬の白昼夢が消えない。
十貴が後輩達に混ざってストレッチを始めても、理人はそこに行くことが出来なかった。足元を泥深い溝に取られて動くことが出来ない。――もう走れないと、そう思った。
今までの全てを覆し、全ての『何故』を片付ける、暴力的な符丁。この日初めて、理人は十貴に欲情した。


 快感の後はいつだって、虚しさと罪悪感しか残らない。最初からずっとそうだった。
人並みの行為だけなら自己嫌悪もここまで募ることはないのだろうか。こんなに愚かしいと判っているのに、欲しくて欲しくてどうしようもないときがある。
でもそんなことは許さない。光と風の似合う親友。捕まえて堕としたいと思うなら、もう追えない。白日の妄想が口火を切った、よこしまな願いと同等に、今のままの十貴が大切だ。自分の敵は誰より自分だった。
作品名:無効力恋愛 作家名:こまこ