想い~熟成
「この欅の木、痩せっぽっちだったのに 今、こんなに立派になったのね」
「大きくなりましたよね。葉だって毎年増えているようです」
「そうですか。あの、ご結婚は? 私、もう会社のこと知る友人も残ってなくて」
彼女の夫になった彼は、一年ほど前に他社か、事業を立ち上げるとかで退職していたし、彼女の友人だった女性たちもそれぞれの道を選んで辞めていた。
「いっやぁー。もてない男の言い訳ですが、仕事が面白くてね。満身創痍、どっぷり毎日仕事人間してますよ」
「満身創痍ですか?」
「ははは、言葉の使い方もわからないほど駄目なんですよ」
「きっとその傷をお手当して 絆創膏を貼ってくださる方がいらっしゃるのね。だからそうやってお仕事ができるのね。私は、誰の絆創膏にも包帯にもなれなくて……。ごめんなさい。可笑しなおしゃべりばかり。じゃあこれで さようなら」
彼女の後ろ姿を見送りながら、ふと彼女が触れていた欅の木の幹を撫でた。
温もりなど残っているはずもないが、彼女がココに残した想いが伝わってくる気がした。
週半ば、また彼女に会った。たぶん欅の木のところからの帰り道だろう。
夕暮れの薄暗い道を 男は 駅まで彼女と一緒に歩いた。
「ありがとうございます。送っていただいてすみません」
「いえ。じゃあ」
一旦は踵を返した男は、駅へと入っていく彼女の後姿をこっそり見つめていた。
チケットを購入し、改札口を通った彼女が 突然振り返り、ドキッとした。
彼女は、首だけをかしげるように挨拶をすると、微笑んだ。
たぶん、男にはそう見えた。
男は、廻り道になったが、やはり欅の木の前を通って帰った。