シログチ
宮川がせわしなくケースファイルを引きずり出す。机の上がまた乱雑になった。
「よう」
その時、悦雄に親しげに声を掛ける者があった。悦雄が振り向くと同年配の男が立っている。
「おお、田崎、久しぶりだな」
「竿鱗会の件でちょっと」
「おお、もうそんな時期か?」
「俺、幹事なんだよ」
「ま、ここじゃ何だから、給湯室でも行こうか。面接室は嫌だろう?」
悦雄が豪快に笑った。田崎は照れたように笑い返す。
「みんな席をちょっと外すぞ」
そう言って悦雄は腰を上げた。心なしか課内の空気の緊張が少しほぐれたような印象を受ける。ただ、野地だけが悦雄の背中を目で追っていた。
房子の仕事はスーパーのゴミ出しで終わる。本当はレジ打ちのみの契約内容だったのだが、店長から命ぜられたのでは断るわけにもいかなかった。
大量のプラスチックのトレーや、ビニール袋、そして消費期限の切れた食材を廃棄する。食材を廃棄する度に房子は思う。
(今の日本って、どこかおかしくないかしら?)
食の安全を謳い、大手業界による賞味期限の改ざんが取り沙汰される昨今ではあるが、廃棄される食材を見ては、胸が痛むのだ。
(これで救える人はいないのかしら?)
以前はよく、ホームレスが消費期限切れの弁当を大量にもらいにきていた。しかし、スーパーの方針で今はそれも行っていない。
「奥さん、これ持っていきなよ」
房子の背後で声がした。房子はその声にハッとして振り返る。
そこに立っていたのは、鮮魚部門の若者だった。名前は知らぬが、顔は知っている。金色に染めた髪に、スラリとした体躯が今の若者らしい。それに、ちょいといい男だった。
その若者の手にはパック詰めされた銀色の魚が握られていた。
「この魚は?」
「イシモチだよ。馴染みがないのか、あまり出なくてね。足も速いし、もったいないから食べてよ。塩焼きでいいよ」
ちょうどゴミ出しを終えた房子は、若者の手から四匹のイシモチを受け取った。
若者の笑顔が爽やかだった。魚を受け取る時、指と指が触れた。その時、房子は指の毛細血管の末端まで、心臓の鼓動が響いているような気がした。
それは「灰色の指先」に「女」の生命を再び宿した瞬間でもあった。もっとも「青い闇の警告」でもあったのだが。
悦雄は給湯室で田崎と話を進めていた。