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シログチ

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「なんだ、もう船酔いの準備か?」
 悦雄の気の利いたジョークで、船はまた笑いに包まれる。
「何か、今日の係長はいつもと違いますね」
 野地がにこやかに笑いながら呟いた。
「いつもは鬼だって言いたいんだろう?」
 悦雄のその言葉に、野地が苦笑した。
「お父さん、職場では鬼なの?」
 良雄が「信じられない」と言いたげな顔をして、会話に割り込んできた。
「そう、鬼の保護係長、渡辺悦雄って有名なんだよ」
 悦雄はやや自虐的に笑った。
「でもね。君のお父さんを尊敬している人は多いんだよ。僕もその一人だからね」
 野地がすかさず、悦雄を援護した。
「やめろよ。恥ずかしいじゃないか」
「ちゃんと筋は通すし、部下のフォローもする。だから我々はいつも大船に乗ったつもりで仕事ができるんですよ」
「今日は釣りだぞ。仕事の話はなし!」
 悦雄が照れを隠すように叫ぶ。
 良雄は父親の意外な一面を垣間見たのだろう「ふーん」と興味深そうに頷いている。房子はその横で苦笑を漏らしていた。
「なんだよ、母さん」
「あなた、相変わらずなのね」
「人間、そうは変わらんよ」
 そんな会話をしていると、船のエンジンがアイドリングを始めた。
 ドルルルルル。
 腹の底に響くようなエンジンの音が心地よい。
「はい。それではこれより出船します。航程は十分くらいです」
 船長のアナウンスが流れ、船はゆっくりと桟橋を離れる。船の下ではエンジンより巻き返す海水が、複雑な渦となっては消えていった。やがて、それは期待を乗せた白泡へと変わっていく。
 金沢八景の朝の風は、何物にも代え難い清々しさがあった。

 船は橋を二つ潜り、東京湾の海原へと乗り出す。そこで船は一旦、停止し、スパンカーと呼ばれる帆を張る。それからいよいよ、本格的な出航である。
 左手に八景島シーパラダイスのジェットコースターを眺めると、右手には大きな造船所のその向こうに、寝坊してきた太陽が燦々と輝いているではないか。
 波はない。船はフルスロットルで駆け抜けていくが、飛沫が客にかかることも稀だ。絶好の釣り日和である。

 船は沖に出て十分たらずで、減速し、旋回を始めた。赤灯沖と呼ばれる、イシモチのポイントだ。
 船長は潮を読みながら、巧みな操船技術を駆使して、魚の群れの上へと船を誘導する。
作品名:シログチ 作家名:栗原 峰幸