シログチ
悦雄が田崎の肩をポンと叩いた。そして、隅の方で小さくなっている野地に目をやる。
「よう、おはよう。来たか。沖釣りは楽しいぞ」
「おはようございます。何か、いつもの係長と顔付きがまるで違いますね」
「そうか? いつも俺は恵比須顔だぞ」
悦雄が豪快に笑った。そして、後ろで恐縮している房子と良雄をみんなに紹介した。すると、猛者連たちは案外と気さくな笑顔を向けたものである。
房子と良雄の顔から、少し強ばりが解けた。
「もう手続きは済ませているから、道具は船に積み込んで」
田崎が悦雄に促す。
「場所は?」
「家族連れなんだし、胴の間でいいだろ? 可愛い後輩も面倒見てやれよ」
胴の間とは船のちょうど中央で、船長の操舵室の前付近を指す。沖釣りで釣り師が争って席取りをする場所は、船尾のトモか船首近くのミヨシだ。胴の間はどちらかと言うと初心者向の席で、熟練者には歓迎されない。それでも、房子と良雄という家族連れには、船長の目も行き届き、もってこいの席だ。それに、今日は声を掛けた手前、悦雄は野地の面倒も見なければならなかった。
船は船つき場で、その身を横たえていた。静かに出航の時を待つ釣り船は、小型ながらもどこか威厳がある。それは、時に荒波をかいくぐってきた歴戦の勇者の風格とでも言おうか。
悦雄たちはその船の胴の間に荷物を置いた。
「今日は凪ですよ」
操舵室から船長が顔を覗かせた。頭に手ぬぐいを巻いた、いかにも職人気質の船長だ。
この釣り宿はイシモチ釣りにこだわっており、夏場の一時期を除き、ほぼ周年イシモチを狙っている。
「初心者には凪がいいね。海が荒れると船酔いしやすいからな」
悦雄が振り返りながら笑顔を見せた。その手はもう、釣竿に伸びている。釣りの上手い人に限って支度は早いものである。
悦雄は房子や良雄の仕掛けもセットする。見れば、野地は自分でセットしているではないか。さすが、以前にフライフィッシングを齧ったことだけのことはある。
続々と釣り人が船に集まってきた。みんな、猛者連なのだが、和気あいあいと、和やかなムードなのが仕立船のよいところだ。
「今日の竿頭は平さんだべー」
「小物なら、負けないぜ」
「そうだよな。お前は大物に限っていつも逃がすもんな」
「あはははは」
そんな会話が気持ち良い。
電車で来ている連中は、早くもビールを空けている。