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シログチ

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 悦雄が目をこすっている良雄に声を掛けた。悦雄は随分と爽快な顔をしている。いや、悦雄だけではない。房子もまた、爽やかな笑顔をしているではないか。
「何か、興奮して眠れなくってさ」
 良雄があくびをしながら答えた。パジャマ姿の良雄はまだ、小学校六年生のあどけなさを漂わせている。
「寝不足は船酔いになりやすいぞ。行きの車の中で寝ていけ」
 そう言いながら悦雄がおにぎりを頬張った。大きな口を開けて、さも旨そうに頬張る。昨夜、房子が握っておいたおにぎりだ。唇に海苔が張り付いた。
「ほら、良雄もおにぎり食べて、着替えなさい」
 房子が良雄におにぎりを差し出す。良雄がゆっくりとした手の動きで、それを受け取った。
「いただきます」
「しっかり食べておけ。空腹も船酔いしやすいぞ」
 悦雄の手には液体タイプの酔い止めが握られていた。良雄のために購入しておいたのだ。
「今日のお昼はサンドイッチだからね」
 房子がサンドイッチをクーラーの中に仕舞う。クーラーの横にはポットが置かれていた。その中には温かい紅茶が入っている。随分と風の冷たくなったこの季節には、温かい飲み物が嬉しい。ひとつのポットを家族で分けながら飲む。それもささやかな幸だと思う渡辺家であった。 

 船宿「黒川釣舟店」は金沢八景にあった。金沢八景は釣り宿がひしめく、言わば「釣り宿銀座」のようなものだ。秋口になると、イシモチことシログチを釣り物の主体に看板を掲げる宿が少なくない。とは言え、イシモチを専門に沖釣りで狙うのは東京湾くらいだろうか。
 釣り宿には既に竿鱗会のメンバーたちが集まっていた。皆、準備に余念がなく、気迫が伝わってくる。たかが小物釣りとは言え、釣りは釣りなのである。
 宿の受付の隅の方で、小さくなっている男がいた。野地だ。錚々たるメンバーに気圧されているのだろう。可愛そうにも、肩を窄めているではないか。
「みんな、おはよう」
 悦雄が笑顔を振り撒きながら、船宿へ入っていった。後に房子と良雄が続く。房子と良雄も釣りの猛者連に少し萎縮気味だ。
「今日はよろしく頼むよ。あんたがイシモチがいいって言ったんだから」
 田崎がにこやかな笑顔で悦雄に近寄ってきた。
「ああ、大丈夫だよ。情報では群れも固まりかけているらしい。潮さえ良ければ大漁だよ」
作品名:シログチ 作家名:栗原 峰幸